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「四度目の夏」5
バーバル社が開発したヒューマノイドマシンのアナスタシア
益司さんが食卓で笑った。
ぼくがナスとこんにゃくの田楽を箸でつまむのに苦労しているタイミングだった。
「ぼくが変わってる? そうですか?」
「そうさ、東京の賑やかなところに住んでいて、その反動かな。でもここに一週間もすれば、東京が恋しくなるだろう?」
ぼくは首を横に振ってこんにゃくを口に入れた。
味噌のあまじょっぱい味。一年ぶりのおばあちゃんちのご飯。ぼくはうれしくて噛みしめた。
「吸い込む空気とか風とか陽ざしとか、そんなのぜんぶこっちのがいいです。ここでもWi-Fiつかえるし。そうだ、今年こそ白雲岳山頂まで登りたい」
「おれはもうなんども登ってるけどな」
よっくんが自慢げに胸を張った。
「そうなの? よっくんすごいね」
「義之は修験道体験のお客さんの案内もできるようになったんだ」
益司さんが言った。
「まるでお猿さんみたいよ。お客さんを放って獣道をどんどん先に進んじゃうの」
「だってみんなトロうて待っとられんのじゃもん」
ぼくは来る時のバスの中から野生の猿を見たことを思い出した。野生の猿(よっくん)が筑前煮のちくわをかじった。そしてちくわの穴からぼくを見る。
「ちょっと、よっくんお行儀わるいわよ」
佳奈恵さんがそういうと、よっくんは残りのちくわをぜんぶ口の中に入れた。そしてほっぺをもぐもぐさせながら訊く。
「去年会ったやつ……虹池でロボットといっしょにいたあいつ。にいやん、あいつと会うん?」
「会うよ。それも楽しみのひとつなんだ」
ぼくは答えた。
「ああ、去年から療養でこっちに住んでるっていう……そうか、去年こっちで出会って友達になったんだっけ?」
益司さんが言った。
「はい、新しい別荘地の、この丘を降りて北に行ったさきの森の向こう。バンガローとかの一角にある、とんがり屋根の黒い家」
「新興別荘地にそんな家があったかな。近くてもわからないものだね」
「ロボットって、家政婦ロボットがいるの? このへんじゃ珍しいわよね」
佳菜江さんが訊いた。
「いまどき家政婦ロボットとは言わないよ」
益司さんが笑った。
「パーソナルアシストタイプのAI搭載ヒューマノイドマシンはバーバル社だけが出していて、そのシリーズの名前はアナスタシアっていうんです。ぼくも東京の家にアナスタシアがいます。ぼくんちは両親共働きだったし、みっちゃんより小さい時からアナスタシアに面倒みてもらって。身の回りのことはなんにも不自由なくて。途中何度かバージョンアップしたけど、基本的にパーフェクトでした」
あくまで基本的に。
「ロボット! ふぉー!」
いきなりじいちゃんが叫んだからびっくりした。みっちゃんもびっくりしたらしくて米粒のついた手を口に当てて目を丸くしてじいちゃんを見つめている。
「やめてよ、おじいちゃん、びっくりするじゃない。でもここは東京とちがってまだまだ生活にアナスタシアなんてものを取り入れているお宅は少ないわ。でも、介護や看護は人間よりもアナスタシアのほうが優秀なのは有名よね」
「うちもアナスタシアを買ったら、おれ本堂を掃除しなくてもえんじゃない?」
「そうはいきません」
佳菜江さんが即答した。
「えええ。がっくし」
よっくんが下を向く。
益司さんが笑った。
おばあちゃんがハマチのお刺身と鮎の塩焼きをテーブルに置いた。
「おじいちゃんは骨を取るからちょっと待ってね」
鮎をおじいちゃんの手の届かないところに置く。
「こうしないと勝手に食べちゃってのどに骨をひっかけちゃうの」
「あいつなんて名前じゃっけ?」
よっくんが訊いた。
「よっくん、あいつなんて言い方しないの」
佳奈恵さんが口をとがらせる。
「マサキだよ」
ぼくはよっくんの質問に答えた
「二人はどこで知り合ったんだっけ?」
益司さんが訊いた。
「去年の夏にこっちに来た時に、よっくんと虹池で泳いでたらマサキがアナスタシアと散歩してて、目が合って」
「あ、そうか、あいつもおったな。あいつ、ロボット」
「よっくん、あいつって言わないでって言ったでしょ?」
「マサキはアナスタシアに名前をつけているんだ。ブレンダっていうんだってさ」
「へぇ。名前をつけているんだね。けっこうそんなユーザーもいるんだろうね」
益司さんがぼくを見る。
「ぼくのマシンはアナスタシアそのまんまだったけど。自分の携帯電話やグーグルやSiriに名前つける人のほうが少ないと思うけど、ヒト型だものね、なかにはそんなひともいるんだと思う」
アナスタシアとはアメリカのバーバル社が開発したアナスタシアver1.0から7.0までバージョンアップしたAIを搭載した人型ヒューマノイドマシンだ。
人間的な、より人間的な、フレンドリーな、よりフレンドリーなと、人間の寂しさと不便さを埋めるためのロボットで、介護が必要な人間には介護を、世話を必要とする人間のために家事ができるようプログラムされている。
アナスタシアは家庭用に作られているけれど、その仕様は多岐にわたって、いまでは学校のアシスタントにも、銀行の窓口にも、病院にも、介護施設にも利用されている。そのうちテレビよりも普及率が高く、いずれ携帯電話並みと言われるようになるかもしれない。
「わたしが若いころにはAI搭載の犬とか猫とか赤ちゃんとかの愛玩用マシンはあったけれど。アナスタシアは発売当初は高価だったけえれど、いまではちょっと無理すれば手の届く価格帯になっちゃって、それなしには生きていけない人たちもたくさんいるんでしょう?」
「ほいだら、なんでうちにはないん?」
よっくんが訊いた。
「うちだって世話のいるじいちゃんが……」
佳奈恵さんと益司さんが視線を合わせた。
「うちには家族がたくさんいるでしょう? よそではお年寄りが一人で過ごすおうちが多いのよ」
「家族がたくさんいても大変じゃもん。じいちゃんを一日中見張っとかんといけんもん」
「義之」
益司さんが言った。
「うちにはマシンは必要ないんだ」
予想外に力強い声だった。厳しさも含んでいるようでぼくはすこし驚いた。
「ふぅん」
よっくんは益司さんの視線を外して皿のほうを向いて箸を動かした。しばらく沈黙が続いた。いたたまれなくなったぼくは、父さんから聞いたことのある話を一生懸命まくしたてた。
「アナスタシアはアメリカ製なのに、アナスタシアってロシア名って、あの有名な『人間的な、より人間的な』のテストで受かったのがロシアのベンチャーだったんだって。でも父さんはちゃんとロシア名つけたのは当時ちょっと感動したって言ってた。二つの大国は当時は冷戦してた、って。そうなの? といってもすぐにベンチャーはバーバル社に買収されたんだよね。当時の若きアメリカ大統領がそうしろって言ったってのは有名な話」
だれもとくに反応しなかった。面白い話でもなんでもなかったらしい。
「おれが生まれるまえやろ?」
よっくんが訊いた。
「わたしたちが結婚する前のことだもの」
佳菜江さんが答える。
「益司さんが白雲岳に来る前? お坊さんになる前って、エンジニアやってたころ?」
ぼくの母さんもエンジニアだった。母さんの作り出すシステムや設計に感動してた、って益司さんは言った。母さんは一度サイエンス誌に載ったことがあるらしい。益司さんの言葉に母さんはかすかにほほ笑んだけど、とくになにも言わなかった。息子のぼくが言うのもなんだけど、母さんは気持ちが表情に表れるタイプじゃなかったと思う。ぼくもそんなところがあるからわかる。
あ、またいやなことを思い出した。父さんが選んだ女は、母さんと真逆だ。すぐに顔に出る。怒っても悲しんでも喜んでも。派手な化粧を歪ませて。そして母さんは無表情のまま仕事に没頭してた。せっかくの長い髪はいつだって一つにまとめてた。時代遅れに耳の横で三つ編みにして。
「益司さんはなんでエンジニアやめちゃったの? なんでお坊さんになろうと思ったの?」
ぼくは話の流れでなにげに訊いてみた。流れ的に不自然な質問じゃないと思ったから。母さんは最後までエンジニアをやめなかった。やめられなかった。生きていればいまだって続けてるはずだ。なかったものを生み出すもの、解明していくもの、母さんにしかできなかったこと、期待されてたこと――ぼくを育てることよりも重要だった。
「猛烈に忙しかったからね。その頃の僕はおよそ人間らしくない生活をしてたよ」
益司さんは言った。
そんな生活でも、母さんは懸命にがんばってた。寂しくなかったといえばうそだけど、悲しくはなかった。母さんはちゃんとぼくを愛していたし、父さんを愛してることもぼくは知ってた。だからここにだって来たんだ。父さんがぼくと母さんに見せたかった生まれた場所。
「ここのでの生活は人間らしいってこと? エンジニアだったころよりずっと?」
「そうだよ」
益司さんが答えた。
「僕は病気だったんだ」
初めて聞いた。
「病気? なんの病気?」
「仕事したくてたまらない病気だよ」
益司さんが答えた。
「なんだ、びっくりした。ほんとの病気かと思った」
「ほんとの病気だよ」
益司さんがご飯を口に入れてぼくを見た。それからゆっくりと咀嚼した。
「じゃぼくの母さんも父さんも病気ってことになるね」
「あるいはそうかもしれないけど」
益司さんは遠慮なく言った。
「でも僕ほどじゃなかったと思うなぁ。僕はほんとにもう、狂ってたからね」
「あなた」
佳奈恵さんが遮るように言う。でも益司さんは続けた。
「狂ってたし、絶望してたんだ。でもここで佳奈恵と、お義母さんの優しさに救われた。それから、お義父さんに」
「おじいちゃんに?」
ぼくは意外な気がして訊き返した。
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