自分で作った野菜を食べることが、怖かった。

どうもどうも、たびちんと申します。去年から北海道函館の隣町、七飯町にて、空き家になりそうだった元実家の家に舞い戻り暮らしております。

家には小さな畑がありまして、小さい頃はこの畑で父が植えた野菜を食べていたものです。ジャガイモ掘りなどもなかなかのビッグイベントでした。

両親は現在札幌に住んでおり、この七飯町の家は知人に貸していたのですがその方々が引っ越すこととなり、私と夫、そして猫と一緒に2021年7月から住み始めています。最初は目が回る忙しさで畑どころではない生活でした。

今年、2022年5月に一念発起。この家の目の前にある畑に、何か植えようと頑張ってみました。

植えたものは様々。ミニトマト、パクチー、バジル、枝豆、じゃがいも、ナス、ピーマン、オクラ、とうもろこしというラインナップ。とりあえず食べたいものを。手間がかかるか否かも、スケジュールがどのようになるかもしっかり調べずに植え始めました。

すくすくと育つものとそうでないものと、あとから追い上げるものと、さまざまで、野菜によってこんなにリズムが違うんだ、と感動しました。当然っちゃ当然なのですが。

なかでもミニトマトの生育は凄まじく、龍とか世界樹とかそういう類が起源だよね?ぐらいの勢いでモリモリ生育。ホームセンターで買った4つの苗はひとかたまりのミニトマトドラゴンとして畑中央に鎮座することとなります。厳密に言えば三本仕立てなどきっちりやるべきだったのですが、完全に時期を逸しました。来年にこの反省は活かします。

このミニトマトドラゴンさん、まあ鈴なりでミニトマトを恵んでくれるわけです。ナスドラゴンもピーマンドラゴンもかなり実りました。

この収穫する段になって、私は怖気付いていました。

収穫するべきタイミングが、わからない。

自分でもびっくりしました。食べごろがわからないんですよ。今までスーパーで散々見てきた野菜たちがグラデーションで毎日育っていく。そのどこが踏ん切りどころなのかまったくわからないのです。なんつーか、生きる力の低下を感じます。

それに加えて、もう一つ怖いポイントがあります。

流通している野菜は品質を誰かのせいにできる。でも自分で育てた野菜はどうだ?

自立することがもし「自分の生み出した結果の責任を負う」ということならば、私は野菜に関して30代にもなってひとつも自立できていないと言えるほどに、自分が育てた野菜の品質が良いかどうかがわからなかったのです。

土の中に何が入っているかわからない。雨の中にどんなものが混じっているかわからない。消毒も、選別も、加熱もされていない。誰も保証していない未知の味の赤いミニトマトを、腹を括って、ひとつ食べる。

そしたら、めちゃくちゃ甘くて美味しかったんです。

私が感動できる美味しさを自分(と苗と土)が生み出せたことに、とても驚きました。自分で野菜を作れることぐらい、知っていたはずなのに。やってみないとわからない、ではなく、味わってみないとわからない領域の話が突如自分の目の前に突きつけられたわけです。

ああ、このタイミングで。大人になったタイミングで北海道に帰ってきたことは、とても良いことだったんだなと思い至ります。

10年ほどの首都圏での忙しい暮らしで、外食などで規格化された味に慣れた舌になっていました。だからこそ、北海道に戻ってからの食事が過敏なほどに美味しく感じます。素材が美味しいので、味付けがどんなものでも戦闘力が高い。まさかそんな素材自体を、自分が作れるとは思っていませんでした。

プランターに入っていない土で、自分が育てた野菜を食べる——その恐ろしさと幸せを、35歳の夏になって、やっと知ることができました。

小さなころに食べていた畑の野菜は、きっと美味しかった。でも、当たり前に食べていたからこそ、感動する余地もありませんでした。若いということは経験の差分がないので感動することがそもそも少ないため、自然なことなのかもしれませんが、今にして思うともったいないなと思います。一方で、上京して働くなかで、深夜まで、24時間まで空いているスーパーで、ぞろっと野菜が並んでいることに疑問を持つことはありませんでした。工業製品のようなきっちりと美しく並ぶ野菜がどこから来て、それがどこまで練り上げられたプロの技なのか、知るよしもありません。

流通に乗っている野菜や食べ物の、自信と誇り高さを感じられるようになりました。それが自然の形から切り離されているということすら、私は実感することなく暮らしていたわけです。

私は不揃いな野菜を偶然作れて、喜んでいる。でも、毎年これを。毎年これを、大量に、成功確率を上げた形で、ビジネスとして、農家さんはやっている。これは本当にすごいことだと思います。

奇しくも最近、ブランド・デザイン企業であるBaby Tokyoとお仕事させてもらう機会が増えるなかで、こういった「食べるものをつくる」領域のお仕事が増えていきそうなんです。そんなタイミングの前に、野菜の美味しさが生まれる瞬間を自分で作って自分で立ち会い、実感を伴う経験ができたのは、非常によかったなと思っています。

スローフード宣言という本を今読んでいるのですが、今だからこそ思い当たることが多く書かれており、読み応えがあります。野菜づくりにちょっとでも興味ある方、もしまだなのであれば、ぜひ読んでみてください。

野菜を育てることは、一旦全部リセットして土からやり直すのと同じ。怖いけれど、やる価値はあります。なにしろ、美味しいので。

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たびちん/ワカタビタキエ
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