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「問い」を持つこと
「問いを持つことが大事だ」とよく言われる。でも、それは「問いを持てば学びが深まる」という話ではないはずだ。問いは「つくらせるもの」ではなく、「意識して持つもの」でもない。子どもたちは、日々、驚いたり、不思議に思ったり、納得できなかったりしながら生きている。その「生きること」そのものの中に、問いはすでにある。
だからこそ、問いは「持たせるもの」ではなく、「すでにある問いに気づく」ことが大事なのだろう。
それなのに、「問いを考えましょう!」と言われると、子どもたちは急に戸惑う。「何を問いにすればいいんだろう?」と考え込んでしまう。問いとは「考え出すもの」ではなく、「気づくもの」。ふとした違和感や、小さな疑問が、「あれ?」と心に引っかかる。そうしたものを、大切にできるかどうか。
「問いをつくる」という表現には、問いを「意図的に生み出さなければならない」というニュアンスがある。一方で、「問いを立てる」という表現は、その子が自分なりの見方や考え方を働かせながら、世界に向き合っていることを示している。問いを立てることは、単なる疑問ではなく、「自分と世界との関係を考えること」でもある。だからこそ、「問いを立てること」が目的になってしまうと、学びは浅くなる。「問いを出せることがすごい」「問いをもつことが正しい」となってしまうと、「問いを持たない自分はダメなのか?」というプレッシャーを感じる子どもも出てくる。
でも、本当に大切なのは、「なぜ、この問いが形になったのか」「この問いはどこから生まれてきたのか」という部分なのだと思う。問いは突然生まれるものではなく、子どもたちが世界と関わる中で感じたこと、経験したことが、ある瞬間に言葉となって表れるもの。だから、問いを立てること自体が学びなのではなく、その問いを通して、どう世界を捉え直し、どう考えを深めていくか。問いは、ゴールではなく、プロセスなのだから。
問いを持つためには、「自由に語れる場」が必要だ。問いは「正解があるもの」ではなく、「正解がなくてもいいもの」。でも、「変なことを言ったらどうしよう」「間違っていたら恥ずかしい」と思ってしまうと、問いは出にくくなる。
たとえば、「問いを出したら褒められる」という環境では、「問いを出せる子」と「出せない子」に分かれ、「出せることが偉い」という空気が生まれてしまう。そうではなく、「問いをもっていること自体が尊い」「言葉にしなくても、心の中で何かを感じているなら、それでいい」「誰かの問いを聞いて、自分の中に何かが生まれるのもいい」。そんな場のほうが、子どもたちは自然に問いに向き合えるのではないか。問いが「出せる・出せない」で評価されるのではなく、「問いがあってもなくてもいい」場をつくることが大切なのだと思う。
問いは、「世界と出会う」ことで形になる。だからこそ、「問いを持つこと」だけにフォーカスするのではなく、「子どもたちが、何と、どんなふうに出会うのか」を考えることのほうが大事なのかもしれない。たとえば、国語の授業で、「この文章の筆者の意図を考えなさい」と言われると、それは先生の問いに答える作業になる。でも、「これ、みんなだったらどうする?」と投げかけたらどうだろうか。問いが、「先生が求めるもの」ではなく、「自分が世界とどう関わるのか」という視点に変わる。
子どもたちは、何かと出会い、その中で「自分と関係がある」と感じたときに、問いを持つ。そのためには、「何に出会えるようにするか」「どう出会えるようにするか」も、問いの生まれる環境を考えるうえで、教師ができる大切なことなのだろう。
問いを持たない時間も、大切にしたい。問いを持つことが求められると、かえってプレッシャーを感じる子どももいる。実際のところ、問いは「持たなければならないもの」ではなく、「生きている中で、自然と形になっていくもの」。だから、問いが生まれない時間も、また意味がある。
大切なのは、「問いがある・ない」にこだわるのではなく、「子どもが自分のペースで世界と関わり、その中で問いが形になっていくことを支える」ことなのかもしれない。
問いを立てることが大切なのは、それが「自分なりの見方・考え方を働かせている証拠」だからだ。問いを立てることは、単なる疑問ではなく、「世界とどう関わるのか」を考えることでもある。だからこそ、問いを立てること自体を目的にせず、「なぜ、この問いが形になったのか」を大切にしていきたい。
問いは、「新しく生まれるもの」ではなく、「生きることの中にすでにあったものが形になる」のかもしれない。教師ができるのは、そのことに子どもたちが気づける環境をつくること。そして、子どもたちが自分の問いに向き合いながら、学びを深めていくプロセスを支えることだろう。問いが評価されるものではなく、誰もが世界と関わる中で感じる「当たり前のこと」として、自然に存在するような環境をつくること。そのことが、子どもたちの学びをより豊かにしていくのではないかと思う。