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モテ格差社会の到来と九相図と性欲と壊したマグカップ

大学生になって気がついたことだが、1ヶ月に1回、2〜3日ほど、なんかすごく性欲が高まる時期がある気がする。高校生のころは、そんなこと意識する暇もないくらい忙しかったり、部活などで発散できていたのだろう。

お察しの通り今のぼくは高まったその性欲を発散する手段を全く持ち合わせておらず、そんな自分が情けなくなってこの時期には必ず自己嫌悪に陷るのである。

性欲なんてなくなってしまえばいいのにと思うことがある。そうすれば男の悩みの大体は解決され、野球選手のスキャンダルは激減し、世界は平和な方向に向かっていくのではないだろうか。そんなことを母親に口走ったら、信じられないというような顔をしてぼくの将来を心配しだした。母親に言うような話ではなかった。

こんなことを考えているのはぼくだけなのかと思ったら、中世の僧侶も往生するために、肉体に対する執着心を捨てる修行をしていたという話を授業で聞いた。九相図(くそうず)という女性の屍体が徐々に腐敗していくさまを描いた絵巻を鑑賞することで、性欲を減退させるらしい。イカれてる。ぼくもそこまで考えたことはなかったし、たぶん普通に効果がないと思う。そこまでしないと性欲には抗えないのかと思って少し絶望した。

正直自分だって、恋愛をするに際して極端なディスアドバンテージを抱えているわけでもないし、なんなら慶應ボーイなので、全労力を恋愛に注ぎ込めば彼女のひとりくらいなんとかなるだろう。でもその場合出来たガールフレンドは完璧に性欲を満たすための存在だろうし、それはとても不誠実な気がする。それに今までいい恋愛をしてこなかったので、完全に及び腰になっていて、恋するとき特有のポジティブな勢いをつけられないでいる。

これもまた授業でやったことだが、志賀直哉もぼくのように性的な行為に対する後ろめたさと性欲の板挟みになった結果、「今」楽しいのが大事だろうという刹那主義に目覚めて開き直ったらしい。そりゃないぜ。どうせ途中で彼女ができて、思想を変えたんだろう。裏切り者め。やってらんねえな。

そんなこんなで劣等感を抱えまくってこじらせているときに、社会学の授業を受けた。東大の先生が「これからどんどん男女の社会的な立場が平等になり、社会的立場が下層の男性は結婚できなくなりますよ」という趣旨の極めてありえそうな説を唱えていて、本当に死にたくなった。こんな一か八かのような、そもそも社会的立場なんていう言葉すら嫌いな人間が、今後社会的立場の上層に君臨できる確率は極めて低いだろう。終わったなと思った。

そんなフラフラの状態で帰っている途中友達からラインが来て、こないだ彼の家に泊まった際にぼくが酔っぱらってやらかしたことについて怒られた。これは完璧に完膚なきまでにぼくが悪いので、平謝りするしかない。そしてぼくは本当に友達が少ないので、いまいる友達には嫌われたくない、次会ったらどうしよう、とか考えているうちに家について無意識に酒を飲んで気づいたら1時間くらい経っていた。

書いていて辛くなったのでやめます。

明日はサウナに行こうと思う。

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