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静岡県知事の問題発言

静岡県の川勝知事が、新入職員の入庁式で行った訓示が問題になっています。問題が指摘された当初は「謝罪はする、知事は辞職するが、発言の撤回はしない」と強気でしたが、周囲にたしなめられたのか、昨日には正式に撤回したと報道されています。

問題の発言を含む訓示の全文は朝日新聞の下記サイトで公開されています。全文を無料で読めます。
川勝知事の訓示全文 静岡県の新規採用職員へ「県庁はシンクタンク」 [静岡県]:朝日新聞デジタル (asahi.com)

発言が問題視された直後に、ご本人が「切り取り」という主張をされていましたので、問題とされている文言を含む部分を少し長めに引用します。(強調は筆者による)

 それからみなさん優秀ですから、なかなか物をわかってくれない人がいるかもしれない。その時にですね、情理を尽くすということが大切です。理屈ではわかっていても、腹にストンと落ちない場合があります。ですからハート・トゥ・ハートで、その心からこうすると本当に良いというように言って差し上げるとストンと落ちる場合がある。ですから情と理、情理を尽くして、自分が正しいと思う信念を貫くということが大切です。
 そしてですね、そのためにはですね、やっぱり勉強しなくちゃいけません。実は静岡県、県庁というのは別の言葉でいうとシンクタンクです。毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです。ですから、それを磨く必要がありますね。で、それは磨き方はいろいろあります。知性を磨くということ。それからですね、やっぱり感性を豊かにしなくちゃいけない、それから体がしっかりしてないといけませんね、ですから文武芸、三道鼎立(ていりつ)と。文武両道というのは良く聞くでしょう。しかしですね、美しい絵を見たり、良い音楽を聴いたり、映画を見たり、演劇を見たりした時にですね、感動する心というものがあると望ましい。

朝日新聞

その中の「毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って」という部分が問題視されているという理解です。
正直なところ、このフレーズを完全に除去しても伝えたいことは完全に伝わり、まさに「蛇足」に過ぎないと思わざるを得ません。
難関とされる採用試験を突破して入庁された職員を「持ち上げ」ることで、モチべーションを高めよう、という意図だったのであろうと想像できます。しかし「誰かを持ち上げるために他者を引き摺り落とす」ことは、公職にある者として一番避けなければならない手法といわざるを得ません。

いうまでもなく「地方自治体」という組織の役割は、その地域に居住しあるいは働く人たちをはじめ、地域に関係するすべての人たちが、よりよい環境で生活や勤労などを営めるよう支援することのはずです。
「毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということ」をしている人たちのために、よりよい環境でより多くの所得を得られるようにすることこそが、自治体職員に期待される使命ではないでしょうか。

あえて元の言葉を活かして、雑ですが自分なりに添削してみます。
『県職員は自分自身では、たとえば、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということを任務とするわけではありません。しかし、そのような「なりわい」を営む県民の皆様に、より多くの所得をよりよい環境で得られるようにするためには、何をどうすればよいか、を考えることが県庁の重要な役割です。このことを常に意識の中において日々の公務に励んでいただくことを期待します。』
あたりでどうでしょうか。
「野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったり」の部分も静岡らしさを出して「茶を生産したり、鰻の養殖をしたり、車やオートバイを作ったり、国内外からの観光客をもてなしたり」なんていうのはどうでしょうか。ポジティブな事例として具体的なものを列挙するのは、「例示されなかった人たち」の感情を害するリスクもあるので、注意は必要ですが。

上の添削例は思いつきで手早く作ったものですので、軽くご笑覧いただければ幸いです。

個人的な感想ですが、(皮肉ではなく)輝かしい業績を多くあげて、他者からもそれを評価され続けてきたため、自己肯定感が高まりすぎて意識が高慢になっていた、ということはないでしょうか。いわゆる「晩節を汚す」の典型例になってしまった様で、後味の悪い残念な気持ちが残りました。


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