真夏の君と白いカーテン Episode 4
見下されるのが怖くて毎日優等生のように必死に勉強し、同級生や先生から期待を得ている俺でも、理想の青春像を妄想していくうちに、たまに羽目を外したくなることがある。特に思春期真っ只中なら尚更ではないだろうか。さらに言い訳ではあるが、ほとんど俺には自由にして良い時間なんて無いと言ってもいいくらい多くのことに縛られている。
それは親に見捨てられた俺にはもったいないと思うほど運良く温かく迎え入れてもらえた施設のことだ。施設には俺と同じような境遇に置かれた子どもが多く、家族同然と言えるのだが結局は他人だ。成長するとプライバシーとはどういうものなのか自然と分かってくるから、お互いに気を遣い始める。さらには施設長も他人であるわけだから尚更迷惑はかけられないのだ。つまり身内の親や兄弟ならば遠慮無しに衝突することもできるが、施設にいる俺はそれができないということだ。
制限が多くかけられるほど人間というものは窮屈に感じ、自由になることを望み、いくつかの制限を破ってしまいたくなる衝動が生まれる。学生であれば立ち入り禁止の屋上でお弁当を食べたり、仮病を使って授業をサボって保健室で寝たり。青春ドラマや漫画でよく目にするシチュエーションなのだが、そこまでをする勇気は俺にはない。人並みの度胸もなくてこんなんで青春なんか楽しめるか、とラジオのように授業を聞き流し青空を眺めた。
全ての授業を受け終え、親友の悠人と図書室でいつもの勉強会が始まる。何気にこの時間が一番気楽かもしれない。クラスメイトの憧れの眼差しや教師の期待に息苦しさを感じることがなく、生活を共にしている家族とも言える悠人といるのだから。毎日、こんな時間がずっと続けばいいのだが。
黙々と勉強し、合間にちょっと馬鹿な話をして気がつけば18時。そろそろ区切りの良いところでやめて帰る準備をしなければ。そう思ったのも束の間、誰かが肩に触れた感覚があり振り向くと、担任の新井が少し申し訳なさそうにしていた。
「翔太、ちょっといいか」
「あ、新井先生。どうされたんですか」
「話があるんだが、今いいか」
「大丈夫ですよ」
流石にだめですよなんて言えるか。作り笑いをみせて、先生について行こうとすると悠人が先生を呼び止めた。
「終わるまで翔太をここで待っていてもいいですか」
「いいぞ。できるだけ早めに終わらせるようにするが、もし下校時間が近づいても終わらずに図書委員が帰れと急かしたら、新井がくるまでここで待ってろって言ってたと伝えておけば大丈夫だろう」
「ありがとうございます」
なんだ。新井いいところもあるじゃんか。普通は先に帰れと言うところだが、待っててもいいと許可してくれるあたりに人当たりの良さを感じる。若造のくせに上から目線で褒めている自分はどうなのかと言われると何も言い返せないが、担任が教師としてではなく、人として良い性格で安心感を憶えた。やっと信頼できる人を見つけることができたかもしれないと嬉しさが込み上げた。橙色から藍色に広がっていく空がいつもより綺麗に感じられるのもそのせいだろうか。
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