憧れからの決別
ずっと誰かに憧れていた。
フォロワー数や、関係を持っている人たちの豪華さ、実績とか、夢を語ることができることとか。自分の名前で仕事をして、私生活もきらきらしていて、楽しそうに生きている人たちと、比べてしまう。
やりたいことに挑戦できない自分に、土俵にすら上がれない自分に、いつも自分通信簿には1を並べてしまう自分を。
でもそろそろ、卒業できる気がしている。1だらけの自己通信簿から。
なぜなら、自分の望むものが憧れの人とは違うことがわかったからだ。
これまでずっと、私は
自分の名前で仕事をしたいのだと思っていた。良いものを自分の言葉で伝えることがしたいのだと思っていた。
自分の書く文章で人の心を動かしたいのだと思っていた。
だから、たくさんの人から反響を得る文章を書く人が羨ましかったし、夢を叶えた報告を読むと素直にすごいなって思う一方で、なぜだか落ち込むこともあった。
自分のことを、自分が全然分かっていなかった。だから自分から傷を負いにいっていた。
そりゃしんどくて当然。
もう今は、そういったことに憧れはあまりない。自分の本当に望むことが分かっているからだ。
私は表立って何かをしたいわけではない。
誰かのやりたいことをする上で妨げになることをなくしたい。
人の心を動かすものを制作することへの憧れがないことはないけれど、どちらかというと、
作る人を支えることで、その人が最大限最高の仕事をできたら私にとって最高に幸せ。
もちろんその支えるための能力の向上を目的とした努力はしないとだけど。
自分の努力で、顔の見える関係性の人のやりたいを叶えられるのであれば、いくらでもと思うんです。
これだと、自分の幸せは人の幸せなのかってなりそうだけれど、やっぱり自分のしたことが何か人の役に立っているというのは幸せではないか、と。
自分の行動が、未来のより良い作品の作り手に良い影響を与えられたら。将来良い作品を作る人が私の企画したもので、作り手になりたいって思ってもらえたら。めちゃくちゃ幸せ。
選択肢を持てることがどれだけ可能性を広げるのかを知っているから、誰もがちゃんと選択肢を持てる社会にしたい。選択肢がありすぎると分からなくなって逆に不幸なんじゃないかと思ったこともあるけれど、その時にどの選択肢を取るかの情報があればいいのではないか。
長くなってしまったけれど、今の自分が思っていること。自分のやりたいこととかを考えてみた結果見えたこと。
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