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詩/作法に惹かれる理由

幼い頃から
作法というものに
惹かれている自分に
気がついたのは

ある喫茶店で
会社を辞めると言った
新卒の女子社員と話しをして
別れ際の駐車場で、
相撲取りのシコを踏む感じが
好きなんだよなぁ
と言った自分の言葉に

えー?相撲ですかー笑?
と不理解な反応をされた時

それは正に
自分の言葉に対する相手の反応が
予想外だったことを憶えてる
初めての瞬間だった

振り返れば

おくりびとの映画を観ては
その作法に感動し

日日是好日の映画を観ては
その作法に癒され

きっと、それらは自分が
確信的にそれらの作法に魅かれていると
気がついた時であり、

なおも振り返れば

高校時代に剣道に触れ、その
剣捌きの型というものに 無意識に
美しさを感じていたのも
そのひとつだ

そして今、小さいおうち
という映画を観ている時だ

おばあちゃんと孫が
正月に、ほんとうに何気なく
お屠蘇を愉しむというシーンを観て、

そういえば幼い頃
お母さんが毎年 元旦には
お屠蘇を愉しませてくれたなぁと
あの頃の映像が浮かんだ

その瞬間
涙がこぼれた

お父さんが亡くなったときみたいに
また泣いてしまった

観ていた映画を一旦止め、
気がつけば
この詩を書いていた

これまでの自分が
作法に惹かれる理由は

古き日本人が
その作法に込めた意味と
感じる 美しさを
伝えるべくして 伝えてきた 
その素晴らしさだと
思っていたけれど

もうひとつ
ほんとうの理由が
分かった気がした

それと同時に
いつまで経っても
子どもなのだなと思った

きっと、近々 
お母さんに電話するのでしょう

テーブルの上に
散乱している 涙拭紙は
晴れやかにごみ箱へ

さて、

続きを観るとしますか

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