雑食に情報を食べること
実家にいるとどうしてもテレビニュースからの情報を得ることが多い。NHKBSを中心にいいコンテンツもあるんだけど、どうしてもニュースは見る訳で。そうすると一定の法則が見えてくる。つまり話題性のあるニュースとその続報をほぼ一週間出し続ける。そして新しい話題が来たら次にバトンタッチする訳だ。
想像するに強い話題を編集部で選定し意図的に続けているんだと思う。ニュースは予定外の事件と、国際会議などの予定された事件がある訳でどうしても報じる観点より番組時間を埋めるべく仕事をしているのだと思う。けど、これって自分が編集部の一員の気持ちになれば理解出来る。ニュースの穴を空けるのは一番避けたい事だからね。
昨日話をしていて、ニュースよりtoggterの方が日本の今を切り取ってるよね。という話になった。確かにTwitter文化の延長で発信者が全員編集員という構造だと世の中の今が多角的に見えてくる。今ちょうどピックアップすると
本当に世の中で見るとさまざまな人がいるし、学びも多い。そして思うのは新聞一紙を読むよりさまざまな情報をフラットで見た方が視座が増えるというごく当たり前の結果となる。それはゴシップ誌だろうが変わらない。重要なのは僕らが読んで知って納得するかどうかである。昨日見てると
いわゆる週刊誌の記事だけど、今年の阪神の強さの一端を見れるし中日の弱さの原因も見えてくる。こういうのを見るとリーダーの抑圧が選手の力を削いでいる、強いては自分たちの組織も同じだよなとも考えられるなど、思考の広がりも見えてくる。一方で昨日より見ていた話で言うと
ちょうど一話見たけどウエストミンスタードッグショーを取り上げていて「こういう世界もあるのか」ということも知り得たりする。あらゆる世界を知ることと、自分の生き方を決めることは別の話なんだけど、どうしても敬遠しがち。でも同時に情報として理解しておかないと頭でっかちになってしまう気がしていて。
自分としては情報は雑食で得るべきだよなと最近思っています。