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和歌みたいなニーズのないものが仕事になった理由

梶間和歌プロフィール小説

でおなじみ(?)、


梶間和歌の人生の前提を覆してくれた

スピリチュアルセミナーの主宰は

ワタナベマリちゃんという女性でした。


そのマリちゃんには長年

友人として、時にコンサルのような形でも

人生やビジネスについていろいろなヒントをもらってきました。

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「和歌の仕事って何をするんですか? 」

「和歌が仕事って、どういうことですか?? 」

「和歌って仕事になるんですか? 」


そう聞かれる時、文脈にもよるけど、

だいたい私は言って差し支えない範囲の仕事内容を言う。

たぶん、相手はその本質を理解していない。

本質的な事を聞かれているわけではない

と判断するからこそ、そういう話し方をするのだけど。


でも、たまにこの話をする文脈もあります。


>決して「後からついてくるお金」のために

>やりたいことをやるんじゃない。

>

>生計が立たなくてもいい

>他人にバカにされてもいい

>それでも、どうしても、

>私はこれをやりたい!やるんだ!

>

>そう決めて実際にやった人が、

>「結果的」にお金も手にしてる。

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こちらも貼っておきますね。

「梶間和歌」アカウントと別に

twitterに持っている本名のアカウントです。

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「ワクワク教」

「感謝教」

「好きな事を仕事に教」

の人たちは、言葉が雑なんです。


確かに、提唱した人たちは


ワクワクしていたから、感謝していたから、

好きな事を仕事にしていたから

お金が稼げた、しあわせになれた、


と自分の例を認識しているのでしょう。


が、それを人に伝える時

それだけでは認識が雑すぎるのです。

認識が雑だから、言葉も雑になる。


成功した彼らは、きっと

“成功するためにワクワクする”なんて下心なく

ワクワクする事をしたのだよ。


だけど、それを人に伝える時に

「ワクワクする事をしたら成功します」

と言ってしまうと、


“成功”を欲する人たちは

「成功するためにワクワクしたらいいんだ」と受け取ってしまう。


認識と言葉の雑さについては、先日のチワワの話と同じ。

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ワタナベマリちゃんも私も

言葉には気を遣っているほうなので。


「気づいたら夢中で勉強していた。

 それが何になるのか、なんて打算はひとつもなかった」

「お金が欲しくて和歌をやる馬鹿はいない」

「和歌なんてニーズのない分野でやる以上、

 野垂れ死にする覚悟ぐらいできていた」

これこそ私の生まれた意味だと確信できるものに

 突き進んで、野垂れ死にする世界だったとしたら、

 そんな世界に生きる価値はない、ぐらい振り切っていた」

「でも、

 この世界がそんなに冷たいはずはない、

 野垂れ死にしてもいいけど、絶対にしないだろう、

 という信頼感も同時にあった」


こういう部分もきちんと表現したいと私は思う。


下心がなかったからこそ、

私の寿命が来るより先に小さな成功が来た、

小さな成功が来るまで続けられた、だけ。


寿命のほうが先に来る可能性だって

じゅうぶんあったのだから。

それを覚悟して、それでも後悔しない、と私はやってきたのだから。

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