小石川後楽園の中国趣味
小石川後楽園
小石川後楽園(東京都文京区)は、水戸藩の中屋敷(後に上屋敷)に造られた庭園である。庭園は初代藩主水戸頼房と 2 代目の光圀により基本的な骨格が造られた。但しその後地震などがあり、いまの後楽園はかなり改造されている。
▲大泉水の中島に立つ徳大寺石。後楽園の造営を命じられた京都の庭師・徳大寺の名をとってつけられた(写真:西田伸夫)
頼房の方針は、庭の中心部に大きな池を配し、その周辺に京都や中山道の名勝を写すことだった。木曽川の寝覚めの床、京都嵐山の大堰川に架かる渡月橋、清水の観音堂や音羽の滝などがその面影をとどめる。
光圀は、幼少の頃から中国文化に憧れていた。彼は中国明の遺臣・朱舜水(1600 ~ 1682)を水戸に招聘。舜水を学問の師と仰いだ。舜水は水戸と江戸の間を何度も往復。その間後楽園に造ったのが中国江南の各地で見られる石の橋「円月橋」である。
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