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『本山へ行く!』其の十六 大覚寺
この企画は、50以上ある京都の仏教諸宗派本山をS木くんと一緒に参拝し、それぞれ興味のあるネタを探して、S木くんがInstagramに、わたくしF倉がnoteに、同時にネタをアップするInstagram&note連動企画です。
そして、専属カメラウーマンT辺さんが帯同してくれて、すばらしい写真を撮影してくれています。さらに、今回はS子さんも参加して賑やかな取材となりました。
令和5年の年末に差し掛かり、今回訪れたのは真言宗大覚寺派大本山・大覚寺さん。言わずと知れた旧嵯峨御所の大覚寺さんです。↓は大覚寺さんのHPです。
さすが旧嵯峨御所だけあってどれもこれも素晴らしい建造物なのですが、今回注目したところは、この部分です。
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こちらの部材は蟇股と言います。昔の人は「これ!カエルが足を拡げた姿に似てる!」って思ったので、「かえるまた」と名付けたんでしょうね。
ちなみに宋代頃の中国では、「駝峯」と言っていたようです。つまり、ラクダの背中です。なるほど、お国が変われば受け取る印象も違うんですね。
この部材、梁や貫などの横架材間に入って支える構造材でありながら、非常に装飾性にも優れていて、建造物の時代推定にも使用されます。
この蟇股、大きく2種類に分けられ、一枚の板で構成される「板蟇股」と、足と足の間は空間になる「透かし蟇股」に分かれます。「透かし蟇股」はさらに左右の足を別々の部材で制作したものと、両足を一つの部材で制作したものに分けられます。別々の部材で制作されたものは時代および地域が限られているので、時代推定に用いることができます。
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板蟇股は奈良時代から使用されていますが、透かし蟇股は平安時代後期ごろから使用されます。そして、時代が下るとともに肩の張りがなくなり、透かし蟇股の足と足の間に草花や動物などいろいろな装飾が付けられていきました。蟇股の上にくっついた斗の高さも、時代とともに低くなるという特徴があります。
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神社仏閣には生物のカエルも含めて、様々な”カエル”が生息していますので、たくさん見つけてください。
工芸舎 F倉