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ウィーン日記|ここにいていいのかなと思う

 ヨーロッパに来てから、もうすぐ一年になる。2024年の一月末にドイツのフランクフルト空港に到着した時に大規模ストライキによって主要鉄道が止まっていて、同じくストライキで立ち往生していたオーストリア人のダニエルと、どうにか空港から脱出したのだった。そこから半年近く、2024年の夏まで、ミュンスターという大学を中心とした街で半年近く、ドイツ語を勉強することになる。ウィーンに引っ越してきたのは、2024年の秋だった。

 ドイツのときも大変だったのだけど、今回も、ようやく滞在許可が降りる算段がついて、ここにいることをやっと許されたな、とほっとしている。法的に許されるだけでも気持ちの持ちようが全然違う。

 それでも、ここでは俺はアジアの顔つきをした外国人で、日本にいる時のように寛ぐことは難しかったりする。なりたけで一人、ラーメンを啜るように振る舞うことは出来ない。俺なんかがイートインして寛げないよって思ってしまう。まだどこか緊張していて「いさせてもらっている」感じがする。

 寮ではいつも、人がいない早朝に共用の洗濯機を回す。同じ、もしくは一人部屋だから人より多く家賃を払っていたとしても、オーストリア人やEUの人たちと比べると引け目がある。

 けれど、やっとドイツ語ができるようになってきて、なんとなく、人が話している内容がわかるようになってきた。彼らの喜びや痛みが、すこしだけわかるようになった。

 それはいまのドイツ語の先生、授業を流れるようにこなす、シャキシャキとおっとりの中庸にいるような、もしくはエレガントと可愛いの中庸にいるようなイングリッドと「今日はさむいね」「さむいっすね」と笑うようなことだけではなくて、もっと深い次元でそれができたと思える出来事があった。

 いま、ウィーン大学で開かれている、哲学プラクティスという社会人向けの課程にいて、毎月、数日かけて集中講義を受けている。学実践者が自身の活動やその理論的背景が扱われて、「哲学するってなに?」「哲学ってなに?」という問いに皆でうんうん唸ったりしている。実際にテキストを読んでみて、それをどのように実践に活かせるか、話してみることもある。

 指導教官の大学教授だけでなく、市井で活動している哲学実践者、コンサルタントだったり講師だったり、カウンセラーだったり心理療法士だったりが入れ替わり立ち替わり来てくれる。その一人、フランス人の哲学実践者、Oscar Brenifierの回にちょっとした波乱があった。

 彼の実践はかっこよく言えば魂の修練、平たく言えば哲学トレーニングで、セラピーや心理療法とは対局にあるものだった。オスカーは授業の間ずっと、感情を抜きにして話す、論理的に話す、厳密に言葉を使う、簡潔に言う、他の人が話しているときは黙る、これらのルールを厳格に運用した。その上で、わたしたちは疑問を提示するか一つのコメントを言うか、どちらかを選ばなければならなかった。

 オスカーは、学生が少しでも曖昧に話したり、感情を込めたり、言葉の使い方を間違えると議論を止めて指摘した。わたしたちはしばしば、人が話しているときに手を挙げて話したいジェスチャーをしたり、長々と演説してしまったり、感情を込めて笑いを誘おうとした。それをオスカーは許さなかった。

 ついには、発言を強行しようとする学生や答えを求めて急ごうとする学生の態度に不機嫌を募らせ、「どうして君はそんなに子供なんだ?」と怒りを露わにし、「君は発言してはいけない」と制止し、「もう私は君とはこれ以上議論しない」と放棄するに至った。

 俺は正直なところ、それが小気味よかった。ドイツ語ができなくて僻んでいたとも思うけれど、20人弱で議論しているのに、長々と話して悦に入っていたり、自分が先に手を挙げたのに発言を横取りされたと憤慨していたりする様子を見て、すこし苛立っていた。そんなに発言したいなら壁に向かって発言すればいい。わたしたちは一人ではうまく考えることができないから、こうやって集まって探究していて、ここにいる人を皆、同じ探究者として尊重することなしに大学で学ぶ意味なんてない、これは対話ではない、とその度に心に固く誓った。

 だから、オスカーの厳密なルールの運用には一理あると思う。けれども、オスカーの男尊女卑のミソジニー的な態度はいただけなかった。論理と理屈の力を信じるとするなら、そのように大きな声で、圧倒するように話す必要はない。参加している学生の妻や夫の話を平然とし、「これだからモラリストは」「真面目な学生ちゃんは」と攻撃する。知識とレトリックに物を言わせて、自らの毒舌を正当化するやり口は成田悠輔に似ている。

 ジョークを言うことなんて学生には許さないくせに自分はくだらない冗談を言いたがり、会話の最後には「楽しかったか?」「なぜだ?」とおどけた調子で、クラスメイトのマダムに「どうして俺と結婚しないんだ?」と迫ったりもしていた。コイツ、人としてやばすぎる。

 あの場は、真理を口にするのに自らの存在を危機に晒さなければいけなかった。逃げ場としての対話の場なんて生ぬるい、傷つかずに哲学ができると思うな、と言わんばかりのコロシアムに皆が引き摺り下ろされた。マンリーな力のせめぎ合いを迫られて、それでも真理を唱えようとする勇気が試された。

 俺の興味は、このコロシアムに異議申し立てをして場を破壊したり、感情を奮い立たせてコロシアムを去ることよりも、このコロシアムのルールの中でオスカーの首に短剣を突き立てることだった。でもどこから突っ込んでいいかわからず、突然現れた狂人に対して、何が起きているのか、論理と理屈をうまく紡げなかった。結局それは叶わずに家に帰ることになった。

 今なら言えることはすこしある。わたしたちは、この場にいない夫や妻との関係性なしで個人として扱われるべきだし、対話を深めることを最優先に考えるべきだったと思う。ルールを逸脱したことの指摘は、その指摘として留め、事への批判と人への非難は分けなければならない。何かを指摘する際に批判と非難を分けるのは、その人を名前付きの掛け替えのないその人として扱わないことであろう。事の指摘の際は、それは誰にでも起こり得る一般的な事として扱わねばならない。

 オスカーの厳密なルールを運用しながら、もっと正しく傷つきながら対話することはできるはずだし、安全な緊張感のなかでそれをやってみたいと思った。安全性だけを強調して、誰も傷つけないようにし過ぎるあまりに、言葉が曖昧に使われ、論理や理屈について吟味する手が緩められることのないように。

 問題は、女性陣の多く、そして調和を何より重んじる男性陣が深く傷ついたことだった。その傷つき方は正しくないように思われた。その人たちの多くは、オスカーに感情をもって「調和を重んじろ」と抗議し、コロシアムのルール変更を求めるも、依然としてそのコロシアムの中で、オスカーの理屈によってことごとくなぎ倒された。いつも調和を守ろうとしない君たちが今になって調和を語るのか、と俺はすこし複雑な気持ちだった。

 翌日の先生は打って変わって穏やかなおじいちゃんだったので、最後に皆で反省会を開かせてもらった。助産師のクリスタが「大学で教える人としてオスカーは相応しくない」と口火を切ったかと思うと、舞台で働いている演説厨のコーネリアが「おかしいと思う」というようなことをまた長く話し始めた。その話の長さに耐えかねたコーネルが手を挙げるも、隣のハンガリー人のゾフィアが横入りしたために、おじさんのコーネルが首から顔まで真っ赤にしてそれを遮った。その態度が男性的な威嚇の色を帯びていたために、今度はソーシャルワーカーのゾーニャが「だから問題が起きるのよ!」と怒り叫ぶ。

 年が一回り上の大人たちが、阿鼻叫喚の形相を呈しており、深く傷ついていることが伺えた。先生がいなくなった教室でようやく先生の悪口が言えるようになって、ここはコロシアムではなくて、安全な逃げ場になっていた。クリスタは自身が傷ついたことを告白し、ゾーニャは怒りを表現することができた。

 俺は、人が話すときに誰かが話そうとしたらそれを止め、手を挙げた順番で「どうぞ」と発言を促し、話したそうにしている人に何か言いたいことはないか聞いた。俺も、「いま、皆が思っていたことを口にして、感情を露わにして、怒ったり、悲しんだりすることができたのはここが安全だからだ、われわれに信頼があるからだ」といったことを発言した。

 担当の日でもないのに「飲みにでも行こうよ」とオスカーが乱入してきたところでわたしたちは解散した。目を合わせて、正直に話せてよかったと笑みを交わし合った。ゾーニャとコーネルたちはビールを飲みに行き、俺は「真面目な学生ちゃん」のヨハンナをウィーン駅まで送った。感情がどれほどわたしたちの人生に有益であるか、路面電車の中で話した。食に関する博士論文を執筆しながら、二人の息子を育て、今夜はザルツブルクの友達のところへ寄るらしい彼女の、何も諦めないでいようとする真面目さを心から尊敬している。

 もし、クラスメイトとの関係を危機に晒してでも、真実を伝える度胸があったなら、「調和を守ることはオスカーの議論じゃなくてもいつだって大事なはずだ」といったことを言っていたかもしれない。コーネリアやコーネルの話の冗長さを、ペトラやゾフィア、アグネスの発言の強行さを指摘すべきだった。「対話するということは、ここにいる皆を同じ理性的存在として尊重し、ともに議論を深める姿勢であって、もし対話しようとするなら、長々と自分の話に終始したり、自分の発言を強行したりはできないはずだ」とも言っていたかもしれない。それは彼らがドイツ人、オーストリア人だからそういうものだ、という話では済まないはずだ。

 でも今回は、オスカーの歪さを共有して、安全性を確保することの方を優先したかった。オスカーが間違っていたこと、それは対話の土台となる安全性を毀損したことだ、と確認したかった。俺は危険なコロシアムではなくて、安全なコロシアムで闘いたい。傷つけないように手加減するのではなく、ここが対話的である場であることを皆で守りながら、正しく傷つきたい。俺はもっと、正しく傷つくことを学びたい。

 今回、俺は本当に意気地なしで、勇気がないということもわかった。争いを避けて、人畜無害であることの利益を得ようとしたがる。きっと俺は、傷つける勇気を持たなくてはいけない。関係を失うことになっても真実を語る義務を、心の中に養わなければいけない。真実を語ろうとしたことで壊れるような関係の価値を、低く見積らなければならない。言ったって変わらないと諦めてしまわずに、周りの人への愛が関係を保持できないかもしれない恐怖に打ち勝つことのできるように、そのように人とつながっていたいと思った。

 哲学することの核心は、案外、意外なところにあるのかもしれない。それはすなわち度胸で、たとえ不利益を被ることになっても、義務を体にまとって、真実へと迫る発言を繰り出せるのかどうかにかかっている。恐らく、一度でも繰り出した人とそうでない人で、哲学すること、その核心への距離はだいぶ違うのだと思う。

 一度でも繰り出せた人は、料理することにたとえて言えば、それまで鍋に具材だけを入れて雑多に煮込んでいただけの状態から、スープの味を知って素材を調理できる段階へと飛躍する。この瞬間の技術的な飛躍、コツを一瞬のうちに掴んで次の次元へと行くことについて、野球選手の大谷翔平も話していた。料理すること、野球することと同じように、積み上げてきた技術がどこかの一瞬で飛躍するきっかけが、哲学することにあってもおかしくはない。

 そのようなドイツ・オーストリア人との交わりと自分へのクリティカルな気づきがあって、もうちょっとここにいてもいいかもしれない、と思えた。ここにいてもいいのかな、ではなくて、本を読んで、考えて、書いている限りは、ここにいることが許されると思った。いや、ここにいていいとか、いちゃいけないとかじゃなくて、もっと何だろうな、ここで強くなりたい。俺はここで、このクラスメイトと一緒に哲学してみたい。言葉を口にする度胸と親密さの絆について、もっと考えたい。

 哲学者セネカの言葉に身を引き締めながら、明日も早く起きようと思う。

われわれにはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費するのである。人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるように潤沢に与えられている。

セネカ『生の短さについて』



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建内 亮太
最後まで読んでくれてありがとう〜〜!