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ウィーン日記|ウィーン大学・哲学プラクティス課程 、初潜入 2024.10.6

 ドアを開けると、早過ぎたみたいでまだ誰もおらず、事務スタッフと学生が仕事していた。この1年間、出願のことで色々教えてもらっていたラシャウアーさんもいて、顔は知ってたから、名前も名乗る前にお礼を伝えた。俺のことも顔でわかってくれていて、「うん、アグネス。」と小さく笑ってくれて、そうか、下の名前で呼んでいいのかと思った。

 そこからは、続々とコースメイトがやってきて、握手したり、自己紹介したり。あの時は皆が怖く見えたけど、俺だけじゃなくて、皆緊張してたんだろうなと今は思う。ロミジ先生も来て、最初にÜbung(練習、演習?)やるって言うから、ビビったけど、2分間近くの人と見つめ合って、どんな人かを当てる人類学ゲームをした。その後2人自己紹介をして、こんな声だったんだとか、職業、教師なんだとかを知って。そのあとは、皆に自分のパートナーを紹介した。「最初はこう予想したんだけど、実際はこうだった」って言うから、何が本当で何が本当じゃないのか、この人は自分の話をしてるんじゃなくて、この人の話をしてて、、と頭がパンクした。

 会社も辞めて、全部捨ててここに来た日本人なんて俺だけだった。ほとんど皆、9割方が仕事を持ってる。数学や倫理の教師、家族医(かかりつけの内科医と小児科を合わせたようなもの)、産婦人科医(性教育もしていると言っていた)、若者や失業者を支援するソーシャルワーカー、IT系、フリーのコンサルタントもいた。
 
 学生は少数で、修士が1人、博士が2人。全部で20人のクラス。ハンガリー人の一人を除いては、皆オーストリア人かドイツ人。そのハンガリー人のゾフィアも、もうオーストリアに来て10年経つらしく、5年が経ったころからドイツ語に不自由は感じなくなったそう。つまり、皆ほぼネイティブで、早送りのドイツ語が口から出てくるのを見るのが美しいくらいだった。理解は全然出来なかったけど。

 自己紹介が終わったら、コースの責任者の2人、ロミジ先生とラキナ先生から概要の説明。月に一度、3〜5日くらいの集中講義があって、仕事している人に配慮して設計されている。哲学プラクティスを研究している教授陣と第一線で活躍する哲学プラクティショナーが変わるがわる講義をしてくれる。

 コースは2年間、10月から始まって、冬学期と夏学期が2回ずつ。1学期から4学期まである。1学期は基礎的な理論が中心で、2学期から徐々に実践に入る。活動している哲学プラクティショナーの監督の下で活動を始めるのも2学期から。3学期と4学期で、自分の活動を計画・準備・実行・振り返りまでして、それを論文の形にまとめて卒業する。

 今回の3日間の内容は、哲学プラクティスの起源と大まかな枠組み、基礎的な理論とその発展の歴史。2日目の終わりに試験があって、3日目は実際の哲学カウンセリングのケーススタディ。何をもって哲学的と言えるのか?心理療法とは違うか?どうやってさまざまなスタイルを分類できるか?と皆で議論した。

 ウィーンに住んでいる俺とか医者のマティアスは少数派で、西か南の方のオーストリアかドイツにいる人がほとんど。例えて言うなら、東京大学で開催されていて、7割方の人が札幌か博多にいて、3割くらいは韓国にいるイメージ。

 学期の中で対面で来ることが要求されているのは初めのひと月と長期休暇を取る傾向にある夏だけで、その3割くらいの韓国にいる人と次会えるのは1月だったりする。札幌とか博多にいる人は月1で新幹線で来るみたいな感じ。新幹線でドイツから来るなんて、大陸じゃん、、って思った。

 だから、もともとが月1の集中講義なのにそういう事情もあって、ロミジ先生が昼食の時間を1時間半くれたりして、昼ごはんは大いに盛り上がってた。毎回2グループに分かれて、「どこから来たの?」「何をしてるの?」「何に興味があるの?」と話題は尽きなかったし、話はどれも面白かった。

 食の哲学をやろうとしてる博士のヨハンナ、最近パパになったメルロ・ポンティが専門のマーティン、IT系でドコモとも一緒に仕事していると話してくれた恰幅の良いコーネル、倫理のことになると話が止まらない博士のセバスチャン、ハンガリーから来て哲学プラクティショナーを目指す数学教師のゾフィア。2日目の夜は一杯ビールを飲んで、3日目はロミジ先生も交えてお茶を飲んだ。

 席が近くて、ご飯の時も一緒になることが多かったヨハンナとセバスチャンが特に印象に残ってる。食の哲学と哲学プラクティスを掛け合わせたいと意気込む美食家のヨハンナと、カントの定言命法と格率の話をしてくれたセバスチャンの二人は、聡明な博士学生の雰囲気を漂わせていてぞくぞくした。
 イギリス哲学をやっていて今はフリーランスで働いているらしいフローリアンとももっと話したかった。日本に何度も来ているIT系のコーネルおじさんと、道元が好きでドイツで座禅を教えているらしいマダムのペトラの二人とは日本の話もした。

 ドイツ語が拙くて、「ウィーンで哲学プラクティショナーになりたい」なんて笑っちゃうような夢を平気で言うような日本人なのに、「ニーチェ読んでたんだ!ニーチェに日本語訳あるなんて!Mangaもあるの!?」と子供のように一緒にはしゃいだりして、何より皆が対等に話してくれるのが嬉しかった。
 でも、それと同じくらい、皆の話が聞き取れなくて、ドイツ語上手く話せなくて、議論に参加できなかったことが悔しかった。どんなに熱心に聞いていても、込み入った話になって他の人に伝わってるかどうか自信がなくなるような場面になると、俺に目線が来ることはなかったし、皆が俺と話す時のドイツ語は少しだけゆっくりでくっきりしてた。

 やることは決まった。先生の話が聞き取れなかった場面、もっと聞きたかったコースメイトの話を思い出して、1学期はドイツ語に精を出すこと。哲学プラクティスの基礎になる理論を自分の中に落とし込むこと。日本学部を訪れて、そこで哲学対話を開くこと。残りの時間は、人脈を伸ばして、今活動しているプラクティショナーに会いに行こう。

 それと、毎日、ドイツ語の単語と表現を増やすことと、哲学の概念と議論の引き出しを増やすことも忘れずに。日本語でドイツ語圏の哲学プラクティスをまとめたり、ドイツ語で日本の哲学プラクティスを紹介したりもしたい。ダニエル・ピンクの言う「フリーエージェント」になれるように、この共同体の中で小さな交換をしていたい。

 次の集中講義は11月。ビザと奨学金の最初の手続きを片付けて、まずは生活をルーティンに整えることから始めたい。何時に起きて、何時に大学に行って、何を食べるか。何も考えずに、筋トレと休息も含めて全自動で体が動くようにしたい。

 待ってろ、ドイツ語ペラペラになって皆のこと、びっくりさせてやる。「哲学対話やったの?どうだった?」って聞かれたい。ここまでの経緯や哲学始めた理由は、やっぱりウィーンでもびっくりされるみたいで、また"Wahnsin!(ヴァーンジン!=まじか!)"って言われたいな。
 特に何度もそう言われたのは一人娘のいる医者のマティアスで、10も年下なのに俺のこと、ビッグマウス扱いせずに「自分と同じ哲学プラクティショナーという職業を目指している同志」だと見てもらえたのは嬉しかったな。

 現実の厳しさも喜びもこの3日間で溢れるほど受け取って、もうウィーンで哲学プラクティスに全部賭けようと思った。ウィーンに2年後も残れたらいいな、じゃなくて、ウィーンに二年後も残るつもりで、腹括んないといけないなと思った。あ〜〜〜〜〜〜!すごい生きてる、すごい生きてる。


最後まで読んでくれてありがとう〜〜!