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第34回読書会『蟹工船』を読んで(2)
今日も読書会が無事終わりました。
【読書会無事終了📚】
— わかば@読んで書く日本語教師 (@saeriwakabaya78) September 18, 2021
第34回読書会『蟹工船』第二回目が終わりました🦀
ご参加くださった皆様、ありがとうございました🙇♀️
今日は3まで読み終わりました
今も昔も殆ど変わっていないし、資本主義社会とはいつもこうなる可能性を孕んでいるんだなと思いました
次回は10月2日です✨#読書会 https://t.co/hZ5sb9DMeZ
今日は7名の方に参加していただきました。
ありがとうございました。
今日は3まで読みました。時間にして40分ほどでした。実は、この『蟹工船』は音読がしにくいと感じています。文章のリズムが悪いし、船に関するわかりにくい語彙も多いです。ですから、すんなり頭の中に入ってこないので、少し予習をしておきました。
そして、「プロレタリア」って何か?とふと思ったので、辞書で調べてみました。
資本主義社会で、生産手段をもたず、自分の労働力を資本家に売って生活する賃金労働者。また、その階級。無産者。⇆ブルジョア
プロレタリア文学というのはそういう人々をテーマにした文学のことですね。さて、そういう労働者が乗りこんだ博光丸が北のオホーツクの海でどうなるのかということが描かれていきます。もう何と言っても、悲惨の一言ですが。
ひどくなっていく船内
あまりの寒さに耐えかねてボイラー室に隠れていた雑夫は、出てきたはいいが、監督に見つかり、便所で蹴る殴るの暴行を受けて死んでしまいました。
しかも、その雑夫は暴行を受け死んでいるのか生きているのかさえわからない状態なのに「働け!」と蹴りを入れられました。3はそんな壮絶なシーンから始まりました。
ここは地獄だということに気づいて、恐れおののく労働者たち。監督は、うさぎの跳ねる(白波がたつ)時化の中でも小船に乗り移らせて蟹漁に行かせます。
こんな会話が交わされます。淺川というのは監督です。
「人間の命を何んだって思ってやがるんだ!」
「人間の命?」
「そうよ」
「ところが、浅川はお前たちをどだい人間だなんて思っていないよ」
でもそれは今も同じ
読んだ後に、参加者の皆さんで話した時、これはどうしたって昨今話題の技能実習生の現状に重なるという話になりました。
六十円を前借りすることに決めて、汽車賃、宿料、毛布、布団、それに周旋料を取られて、結局船へ来たときには、一人、七、八円の借金になっていた。
自由を奪われることも、たくさんの人が同じ部屋で寝起きすることも、ろくな医療にありつけないことも、どう考えても現代に重なってくると思うのでした。
そして、そういう人たちに日本語を教えているということは、その片棒をかつぐことでもあると改めて思いました。
資本主義の世の中でこういうことは必ず起こるということを歴史から学ぶことは、自分も蟹工船に乗らないし、誰かを蟹工船に乗せたりしないことを心に刻むためだと思いました。
この蟹工船の話は実話がベースになっています。
日本、働く人ばかり、いい国。
嵐の中、川崎船(小船)で漁に出た2隻のうちの一隻は、漂流してしまい、ロシアに流れ着きます。そこで、ロシア人と日本語のできる中国人に出会い、こんな風に声をかけられます。
「貴方方、金キット持っていない」
「そうだ」
「貴方方、貧乏人」
「そうだ」
「だから、貴方方、プロレタリア。分る?」
その後も、いかに日本が資本家による搾取の国であるかを語り、ロシアはそうではないと諭されます。
日本、働く人ばかり、いい国ーーープロレタリアの国、分る?
と言われ乗組員たちは、もう聞き惚れてしまっています。でも、船頭だけがこれは「赤化」じゃないかと疑っているというところで、3は終わりました。
外から自分たちを知った蟹工船の労働者たち。やはり、外から見ないことには自分たちの真の姿は見えないのかもしれませんね。かといって、外の世界が正しいとも限りません。これも現代に通じます。
結局は現状を耐える力と、現状を切り拓く勇気と、どうやって生きるかを考える力が必要なのかと思いました。生きるとは難しいことです。
死ぬ思いばしないと、生きられないなんてな
次回は10月2日(土)JST1900〜
小林多喜二『蟹工船』4から読みます。
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