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目の前にいる人が世界への扉
毎週日曜の大河ドラマ『光る君へ』を楽しく観ています。特に昨日の放送はわたしにとって共感できる内容でした。なぜかというと、外の文化や言語、世界と出会う喜びが凝縮されていたように感じたからです。その喜びはわたしが日本語教師という仕事をする原動力でもあります。
このドラマの主人公であるまひろ(紫式部)は父が越前国の国守になるにともなって越前へ赴きます。そこには日本との貿易を求める宋人がたくさんいました。その中の一人薬師(くすし)だという周明とまひろは仲良くなり、宋の言語を学ぶようになります。
「宋の国のことを教えて」と周明にせがみ、また宋語を口にしてなんともうれしそうなまひろの様子は、自分が思春期の頃、アメリカと英語に寄せていた気持ちと重なりました。その時の心が弾むような気持ちが自分のなかに戻ってきたような気がしました。
わたしが中学生だった頃、インターネットのない90年代前半の滋賀県の農村に英語教師の助手としてやってきたその人はわたしの世界への扉の一人でした。関西弁もマスターしていたアラスカ出身のジャスティン先生は自分自身のことをわたしに語りながら米国や語学学習について教えてくれました。
それからの人生、どこにいても世界への扉になる人が現れました。わたしはいつも、目の前の誰かを通して自分にはない世界を見ていました。それは最初は楽しく興味深いことでしたが、残酷で悲しいこともあるし、世界はそのほうが多いということを知るのに時間はかかりませんでした。
それでもなお世界を知りたいという気持ちは尽きることがありません。現在、日本語教師という仕事をしながら、学習者の皆さんが教えてくれることにいつも驚かされたり、考えさせられたりしています。そして、自分も誰かにとっての世界のドアなんだと昨日のドラマで改めて気づかされたのです。
だから、言葉を学ぶとき、その言葉を人が発している以上、学習者はその人を通して、自分の知らない世界を見ています。その人の家族や友だち、好きなもの、どんな生活をしているか、経験や意見はその人だけのものであるけれど、その人が所属するいくつかの文化の色をまとっています。
そこには共通点もあり、想像もしなかった相違点もあります。その未知との遭遇による驚きが学習を続けていくモチベーションにもなるし、思いきった言い方をすれば生きる喜びにもなります。日本語教師は学習者が出会う世界へのドアのひとつです。
肩肘をはって教えなくても、役に立とうとしなくても、ただドアを開ければいい。それは自分を見せることでもあるし、相手を受け入れることでもあるとおもいます。日々の仕事はそう思うだけでは簡単に進まないけれど、心の底にそういう思いを持っていることが仕事を楽に楽しくします。
そう思いながら、今日も楽しく仕事をしようと思います。誰かを世界へと開くドアになることを願いながら。そして、わたしも学びながら、勇気を出してドアを開け続けたいと思います。お読みくださりありがとうございました。良い1週間をお過ごしください。
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