『ぼくらはひとつ空の下』の感想
#日本語教師ブッククラブというTwitterのハッシュタグがあります。これは日本語教師が月一回課題本を読み、その感想をツイートするというものです。
2021年9月の課題図書は『ぼくらはひとつ空の下』という本です。早速読んでみたので、感想を書いてみたいと思います。
『ぼくらはひとつ空の下』とは
サブタイトルに「シリア内戦最激戦地アレッポの日本語学生たちの1800日」とあります。そう書かれている通り、この本はアレッポ大学の日本センターで日本語を学ぶ優人さんこと、アフマド・アスレさんによって、内戦のなかでも希望を失わず学び続けた日々とその仲間について書かれた本です。
本の最初の「はじめに」にはこう書かれています。
自分の命もいつ絶たれるかわからない日々。でも、私たちは戦争中も休むことなく日本語を勉強し続けました。
なぜなら、絶望的な日々のなかでも、日本語を学ぶことで、海の向こうのまだ見ぬ世界に心をつなぐことができたから。(中略)
日本語を学ぶことは、このかつてない苦難の時代において、わたしたちの「希望」になってくれました。
日本語教師を長く続けてきて、心に残る言葉はたくさんありますが、「日本語を学ぶことが希望だ」という言葉ほど、わたしを勇気づけてくれる言葉はなかったと思います。思わず涙が出ました。
戦争とは
内戦が始まる前は、日本から来た日本人教師やその国の教師たち、そして日本のアニメや文化が大好きな学生がワイワイ学んでいました。しかし、ある時急にそんな日々は終わりを告げます。そんな様子が本からも伝わってきます。
2012年にアレッポの街で戦闘が始まりました。戦闘はどんどん大きくなり、避難する人も現れ始め、別れも続きます。戦闘で亡くなる人も……。
そんな様子を、『進撃の巨人』や『海辺のカフカ』のセリフを引用して表現する著者。素晴らしいと感じました。もちろん自分の街で戦闘が起こっているなどどということは、わたしには想像もできないことです。大変恐ろしいことだと思います。
そんななかにあっても、学ぶことを手放さない。そして希望を持ち続ける。その一文字一文字を追いながら、わたしは以前読んだ本の一節を思い出しました。
バルコニーには四月の太陽を浴びて色とりどりの花が咲き乱れていた。洗濯物を干しにバルコニーに出て撃ち殺された者もいるなかで、それでもなお人々は、バルコニーを飾る花を枯らしはしなかった。
岡真里著『アラブ、祈りとしての文学』の一節です。
たとえ、戦争が起こっても、日常を続けていく、そこに人間としての強さがあるのではないかと思いました。
書くこととは
この本は、本の持つ意味を改めてわたしに教えてくれたような気がします。日本では本屋に行けばたくさん本があります。インターネットでも買うことができます。
でも、知りたいことが書かれている本はたくさんありますが、知らねばならないことが書かれている本は決して多くない気がします。
わたしにとって『ぼくらはひとつ空の下』に書かれていることは、知らねばならないことだったと思います。戦火のなかでも学びを希望にして、学び続ける人がいることは、日本で生きるわたしにとっても大きな希望になりました。
言葉を学ぶこと、言葉を使って表現することは、誰かの希望になることだと感じました。
素晴らしい本をありがとうございました。
では、また!
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