サピエンス全史とSF。私たちは何を望みたいのか?
サピエンス全史を読むとSFが読みたくなる。
ハクスリーとオーウェルが出てくるのがいけない。
どちらも好きなのはもちろんのこと「ディストピアSF」は全般的に好きなので、サピエンス全史の読後感のまま陰鬱なものが多いディストピアSFを読んでMPがすごい勢いで削られていく。
こういうと恨み節みたく聞こえますが全くそんなことはないんです。
ハラリさんにはむしろ感謝していて、今までたくさんのSF小説を読んできた中で「なんとなく感じていた違和感」の正体がわかったからです。
「SFは2種類に分けられる」
そのうちの1つはハラリさんの言葉を借りるなら、「ほとんどのSFは未来を背景にして私達の感情的緊張や社会的緊張を再現してるにすぎない」とのこと。
もう片方のSFについては私の解釈になりますが「どう受け止めるべきかわからないSF」と表現するのが一番しっくりくる。
ハクスリーの「素晴らしい新世界」を初めて読んだのは10年以上前のことで、何度も読み返しているにも関わらず、未だ飲み込めていないのはなぜだろうと思っていました。
ハクスリーに限らずディストピアSFを読み終えた時の「違和感のようなもの」の正体は、そもそも現代人では理解できない作品だからなんだと、サピエンス全史を読んで納得。
SFから学べるものはあるのか
ハラリさんの21Lessonsでも触れらているように、現代で一番重要な学問は「SF」かもしれないですね。
サピエンス全史の締めくくりの言葉である「私達は何を望みたいのか?」という言葉で頭を悩ませてる人は何か1冊、SFを手に取ってみると良いかもしれないです。
ハクスリーの「素晴らしい新世界」
オーウェルの「1984年」
伊藤計劃の「ハーモニー」と「虐殺器官」
私はこの4作が真っ先に頭に浮かびました。
年々現実味を強めているディストピアSFを読んで、不気味な読後感を味わって見ませんか?(ハーモニーと虐殺器官を古本に出した3年前の自分、何やってんだよ)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?