waka_note928

つらつらと思ったこと

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つらつらと思ったこと

最近の記事

衣替え

子供服の衣替えは 非常にめんどくさい 去年の冬物の中には 今年も着れるもの サイズアウトしたもの 次女におさがりできるもの おさがりにするにはまだ大きいもの 次女もサイズアウトしたもの 知り合いの子供におゆずりできそうなもの がある さらに言えば もう着れないけど捨てられないくらい愛着がある洋服 もある これらを振り分けて収納するのが 本当にめんどくさいのだ 衣替えをしたあとの私の楽しみは 長女が着ていた服を 次女に着せる瞬間だ この服着てる時はなぜかいつ

    • 記憶が違っても

      私には 今年89歳になった祖母がいる 私がおじいちゃんおばあちゃんと呼べる存在は この祖母1人になってしまった 89歳ともなると、認知症のような明確な症状はなくとも なんとなく会話が噛み合わなかったり 記憶違いがあったり 同じ話を何度もされることがよくある これこないだも聞いたなー とか 初めてって言ってるけど前もやってるの見たことあるなー とか そんな感じだ まあ年齢を考えると仕方ないと思える そんな祖母は運転免許を持っておらず 10年近く前に 祖父が入院しがちに

      • ありがとう

        中学時代から聴いていたRADWIMPS そのメンバーの桑原が脱退したとの報告 そういえばあまり最近聴いていなかった 大学生くらいまでは CDをフラゲしたり グッズを買ったり ライブに行ったり その熱量はかなりのものだったと思う 彼らの曲を聴けば それを聴いていた頃の思い出が蘇る 私が持っていたピンクのガラケーは 好きな人からメールが来ると 最大公約数の着うたが鳴り 当時気になる人がよく聴いていたのはふたりごとで 親友とトレモロをカラオケで歌ったのも覚えている

        • 遠い日々

          午前6:00 アラームが鳴る 家を出る準備は7時には終わり、 少し横になったり SNSを見る 7時51分 急行新宿行きの電車に乗り 学校へ向かう 153cmの私の体が 宙を浮きそうなほどの満員電車 夏は結構しんどい 雨だと尚更しんどい それでも お気に入りのイヤホンから お気に入りの音楽 人混みの中からわずかに見える車窓からの景色 9時から始まる1限目の授業のある教室に だいたい一番乗りで着く 友達と座るいつもの席に座る だいたい後ろの方だ お昼ご飯も い

          手紙

          30歳になった まさか 結婚して 子供が2人いるなんて 少し前の自分からは想像も出来なかった 別に30歳になったからと言って 特に何かが変わる訳ではないが 夫が結婚式をした式場でのディナーをプレゼントしてくれた ウエディングドレスを着て歩いた式場を 娘を抱っこし 手を繋いで歩いて 少し初心に帰る 母が 亡くなった祖母が 私が小学生の時にくれた手紙を見つけた 何才の誕生日にもらったのかはもう覚えていないが 祖母の懐かしい字を見て 少し目頭が熱くなる 私が高校生の

          還暦

          父が還暦を迎えた 父が30歳の時に産まれた私は 来月30歳になる 私と父は仲が良い方だと思う 小さい時から何かと2人でデートしていたし 高校生、大学生になっても ご飯に行ったり 共通の趣味である野球について話したり 一緒に球場に行ったことも何度かある 父は優しいが口下手で 真面目な話や大事な話は 基本的には母を通じてやり取りしていたし 私が決めたことには賛成してくれるような人だったので 父と直接そんな話をすることはほとんどなかった 私には 忘れられない父からのメール

          卒業していく

          次女が1歳になり ハイハイしてつかまり立ちをして なんとなくママと言えるようになった そんな成長は喜ばしくも少し寂しい 不妊治療をしていた時は まさか自分が2児の母になれるなんて思っていなかった 奇跡を2回も経験できて 幸せだと思う 我が家は3人目を作る予定はないので 次女の成長は 私の子育ての終わりを意味する もう、妊娠出産はもちろん 首が座る前の抱っこ 授乳の後のゲップ テープオムツ この1年で卒業したものがたくさんある 今、目の前で眠る次女の顔を 一

          卒業していく

          1年振り返り

          我が家の次女が 数日後に初めての誕生日を迎える 1年前はというと 長女の時は緊急帝王切開で わけのわからないまま手術になったので 予定帝王切開で 前日からの入院 長女と初めて離れて眠る夜も 明日、お腹を切るということも 不安で怖くて仕方なかった記憶がある 手術は朝の9時から 自分で歩いて手術室に向かうのは 結構勇気が必要だった 痛いと聞いていた麻酔は 思ったよりも痛くなかったが じゃあ切りますね とお腹を切られてから 強烈な吐き気に襲われた でももう、お

          1年振り返り

          祖父

          祖父の夢を見た 昨年末に亡くなった祖父は いつものように リビングの緑色のソファーに座っていた 一昨年の夏、 心肺停止状態になり 病院に運ばれた祖父は 一命を取り留め そこから1年半生きた 「おじいちゃんは1回死んだようなもんだ」 と笑っていた 夢の中で祖父に話しかける 「おじいちゃんさあ 1回死んで生き返ったんだから もう1回生き返っちゃえばいいじゃん」 祖父は笑っていた 「無理なの?」 と聞くと 祖父はなにも答えない ただ笑っていた 祖父が亡くなっ

          ちょっとした話

          突然だが 私は感情があまり外に出ていないらしい だいたい 冷静だね 落ち着いてるね と言われることが多いし、なんなら 冷たいね と言われることすらある 高校の卒業式、クラスで泣いていなかった女の子は私だけだった いや、もちろん悲しかったのだ でも、後から 「わかちゃんだけ泣いてなかったけど嬉しかったの、、?」と言われたことがあった 祖母が亡くなった時も 私は泣かなかった 薄情者だ と親戚に言われた まだ高校生だった私は 深く傷ついた記憶がある 泣かなかったら 悲

          ちょっとした話

          クリスマスの祈り

          12月20日水曜日 父が有給をとったらしいので 私と娘2人を連れて 母方の祖父のところに会いに行く予定だ 祖父のところへは 高速に乗って40〜50分ほど 下道だと1時間30分ほどかかる 最近ペーパードライバーを卒業した私は まだ自分の運転で向かうのは怖かったので 父と4人で祖父に会いに行くのを楽しみにしていた 祖父は昨年から体調を崩しており 母や親族が一人暮らしの祖父の家へ 定期的に訪れて様子を見ていた さて、 祖父に会うのだからと 前日に一眼のバッテリーを充電して

          クリスマスの祈り

          5年

          5年 夫と結婚して5年経った 5年前は独身だった私 元号は平成だった とてももう思い出せない 結婚式の写真に写る私と スッピンでボサボサの髪の毛で 毎日子供を追いかけ回している私は 外見も中身も別人である 自分が1番だった 好きな時間に寝て起きて 好きなものを食べて 好きな時に好きな人と過ごし 自分のことだけを考えてものを買う 子供が寝てからしか寝れない 子供が起きたら起きなければならない 子供が食べたいと言ったものを作り ヒールをやめ ネックレスを外し 動き

          甘える時間

          昨晩 長女はなかなか寝付けなかったようだ 仕事から帰宅した夫が抱っこする 私は次女に添い寝していた そのうち、次女がぐずり始める 私は次女を抱き上げる まだ6kgほどしかない 小さな小さな次女 抱っこすると落ち着いたようで すぐ眠りに落ちた そのすぐ近くで 長女は夫の抱っこを拒否し ポツンと座っていた どうしたの? 寝れないの? と小声で話しかける 長女は大きくてまん丸な目をこちらに向け頷く 私が両手を広げると 長女は静かにこちらに寄ってきた そのま

          甘える時間

          過去

          中学2年生の秋 私は学校に行けなくなった そうなる少し前のことだ 給食を片付けようとする私に友人が もう食べないの? と言った 視線を落とすと そこには配膳された時と ほとんど量が変わらないままの給食があった そこで初めて ご飯が食べられなくなってる と自覚した なので、いつからそうなっていたのか 自分ではわからない 自覚してしまってからは あっという間に具合が悪くなった 夜、耳鳴りがうるさくて眠れなくなった 朝、体を起こせなくなった 学校が始まる時間にな

          生まれてきてくれて

          生まれてきてくれてありがとう よく聞く言葉だと思う しかし、出産を経てからでは その言葉の重みはまるで違うように思う 20歳の時 子宮内膜症だと診断された 幸い、投薬によってほぼ完治したと言われたが 24歳で結婚し、婦人科を受診したところ 妊娠しにくい体だということがわかった 詳しく言えば 多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)というものだ 様々な症状があるが、私の場合は 生理周期が長い 無排卵月経(基礎体温を付けても高温期にならないことが多い) というのが主な症状だった

          生まれてきてくれて

          ほんとにいたんだ

          第2子を出産して初めに思ったことが このタイトルになっている 2人目を妊娠したとわかった時 娘に寂しい思いをさせることになるのではないか つわりが来たらどうやって世話をしようか いつまで抱っこしていられるのか と 考えるのは今年3歳になる娘のことばかりだった もちろん、妊娠したことを後悔した訳では無い しかし、娘と過しながら 仕事もこなし 妊娠前と何も変わらない生活を送ることは 思っていたよりもずっと大変だったし もし今なにかあって入院になったら 娘に会えなくなるとい

          ほんとにいたんだ