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真実とそこに写るもの。
デジタルがほど遠かった時を私は知っています。
ある意味、豊かで。ある意味、幸せな。
現在は、別の恩恵があり、ある意味幸せなのです。
そんな少し前の話。
デジタルカメラが出る前、
フィルムに焼付けて現像をしていました。
それは、補正をすることなく、目で見た景色を切り取って
その感動を人から人へ繋げていたのです。
家族写真であり、風景写真、証明写真と…。
現像してみるまで、どんな風に仕上がっているかわからない。
ドキドキと仕上がるのを待つ時間。
仕上がった後のアルバム整理。
そして、十数年後、見返した時の思い出ばなし。
その幸せな時間は、共有している人こそ少ないけれど、
そこに流れる時間はとても幸せだった。
私は、カメラマンでも、フォトグラファーでもなく
知識は浅いのだけど、
シャッターを切る事は私にでも出来たのです。
今は、写真の多様性は無限で、真実以上の補正も盛り込み、
人に訴えかけ、感動を届けるツールです。
それはとても効果的で、私も利用しています。
何が良くて、何が悪いということでなく、
幸せの形が変わってきたのだと思います。
一方で、スチールカメラや、フィルムに新鮮さを感じ、
アナログ撮影に取り憑かれる若者もいることが
とてもおもしろく感じます。
今、家の周りの草花を撮影するとき、
二十数年前に、友人が持っていた一眼レフカメラを
同じ場所でシャッターを切ったこと。
出来上がった写真を見せてもらった時の鮮やかな感動を
私は今も思い出します。
最後まで読んでくださってありがとう、感謝。