見出し画像

教え子との悲しい再会

うれしい再会もあれば、悲しい再会も…。
その再会は・・・私にとって忘れることのできない悲しいものでした。
これも14年前の出来事です。


◆8月10日の新聞記事

8月10日(火)の朝刊を見て、愕然としてしまいました。死亡欄に見覚えのある教え子の名前が・・・。

いつも気にして見ているわけではないのに、たまたま目に止まった懐かしい名前。34歳のまだ若過ぎる死は、「どうして?」と思わざるをえませんでした。何かの間違いではないのか・・?

死亡広告には、お父さんの名前で葬儀のお知らせが・・・。間違いない。なぜだ?どうして?

そして、見つけた新聞記事。


8日午後1時20分ごろ、松江市鹿島町の古浦海水浴場で、松江市□□の会社員、○○○○さん(34)がおぼれ、搬送先の病院で死亡した。

松江署によると、○○さんは友人の子供を背負って泳いでいたところ、沖合約25メートル付近でおぼれたとみられる。近くにいた海水浴客らが救助、通報した。


水の事故で亡くなった?・・・運動神経抜群のスポーツマンの彼がどうして?

突然の悲報に体が固まってしまいました。

神様はなんという運命を彼に与えてしまったのだろう。残されたは家族は・・・。

◆23年前の思い出

小学校6年生の彼は、サッカー部のキャプテンで、学級のリーダー役の子どもでした。友だちにやさしく、頼りがいのあるスポーツマンで、人気者の彼には、友だちがたくさんいました。

市の小体連の運動会で、数千人の前で、選手宣誓をしたり、サッカーの大会で県1にもなりました。

運動もできて、勉強もできる・・・そして、素直な性格で面倒見のいい彼は、その後中学、高校でもサッカー部のキャプテンを続けていました。そして、設計士であるお父さんの跡を追って、設計の仕事を始めていました。

◆20年前の再会

そんな彼から連絡があったのは、今から3年前。私がテレビのニュースに出たものだから、それを見つけて、SNS(当時はやっていたmixi)でメッセージをくれました。
--------------------------------------------------------------------------
【教え子】
テレビ観ました!!!って、いきなりすいません <(_ _)>
覚えてますか?
先生が○○小時代の○○でーす!ワカルカナ!?
ご無沙汰しております。本日夕方のニュースを観てたら..ビツクリ!!!

全然変わってない先生の姿が!!!お元気そうで何よりです!!!
返信待ってます!!!

【私】

突然のメッセージ ありがとうございます!
懐かしいですね。忘れていませんよ!

TVの件 自分自身は見ることができなくて…(山陽自動車道を走っていました…)どんな感じだったか…はずかしい…。

UNO全国大会で11月5日にも放送があるようです。11月4日に学校に取材がある予定です。○○くん 今 どうしてますか?
私は、H市で単身赴任中。小学校の教頭先生をしています。

当時の宇野小学校

【教え子】
速攻返信ありがとうです!!!

ホンマにご無沙汰してます。

先生と会わない間にいろいろありましたが...
今は親父の会社(設計事務所)で一緒に働いてます。

そう云えば本日偶然にも、親父がゴルフ(島根ゴルフ)で、
□□先生に会ったらしいっす!!!
なんだか不思議な感じと嬉しい気持ちっすわぁ~

今はH市駅前でマンションを手掛けてるんで、そちら方面に行く機会がよくあります!

近いうちに一緒に飲みたいもんですねぇ!!!

ではではまたでーす!!!


こうして、SNSでの交流が始まりました。


【教え子】
新年あけましておめでとうございます!
って3日になってしまいましてすみません。
晦日から体調不良でやっと本調子になった次第で...
waka先生はどんな新年を迎えましたか?
オレは年賀状書きと年賀状整理。
小学生の時のとか見てたら懐かしくって、
なかなか書き終わることができなかった(笑)
んーで もって先生にも出そうとしましたが、
住所不定(○○の住所であってんかな?)で出せませんでした。
すみませんm(._.)m

今年の目標は...先生と飲むことです!!!
是非飲みましょーねぇ!!!
では、今年は(も)よろしくお願い申しあげます!

【私】
新年あけましておめでとうございます。wakaです。
数日間ネット環境のない生活をしていて、返事が遅れてごめんなさい。

○○くんにとって大きな幸せがやってくる年でありますように・・・。
○○くんと飲める日が来るのを楽しみにしています。

そして、やっと彼と再会したのは、今年の8月10日。彼の葬儀の日でした。

◆8月10日の再会

午後からの葬儀に駆けつけました。まだ独身の彼の遺族は、ご両親と妹さん。会場でお父さんとお話しすると、お父さんは23年前の私を覚えていて下さいました。「小学校の時の○○くんのことを今でも覚えていますよ。」私がそう話すと、気丈にふるまっていらっしゃったお母さんと妹さんの目から涙が溢れてきました。

「棺の中に小学生の時にサッカー大会で県1になった時のアルバムを入れてもたせてやりました。」とお父さんが話してくださいました。

葬儀の最中、遺影の彼の顔をしっかり心に刻み続けました。

そして、お父さんが心情を吐露された言葉が胸に突き刺さりました。

「○○、くやしかったなあ。おまえのくやしさも全部引き受けておれが生きてやる!」

設計士の父親の背中を追いかけて、息子が親父を超えるぞ!と歩み始めた設計士の道。お父さんの無念さ、何処にぶつけてよいかわかならい悔しさ、大きな悲しみの前に、その悲壮な現実が辛くてたまりませんでした。

笑顔の遺影の彼に心の中で、問い続けました。

「○○、つらかたなあ。」
「○○、どうして先に逝ってしまったんだ。」

しかし、遺影の彼は、私に微笑むばかり。

理解できない彼の死という現実の前に、それが彼の天命であったと思うことができない私に、彼が語りかけてきました。

「先生、そんなに悩まないでください。いつか一緒に飲みましょう。」

昔のやさしい彼の姿のままで語りかけてきました。

夜、SNSの彼のサイトを見ながら、一緒にお酒を飲みました。

彼のプロフィールの自己紹介の欄が目にとまりました。


未だに自分探しをしていますが、まぁ人よりやることなすこと遅いんでしゃーないって思いつつ、焦ったりしてますが...まずは何をしたらいいのか...とにかく我武者羅に生きたい...たったひとつの輝きになりたい


あなたは、十分輝いていましたよ。その輝きは、私の心の中に、今日あなたの葬儀の参列していたたくさんの人の心の中に、ずっとずっと輝き続けていきますよ。

あなたを忘れない!おれも、○○くんの分までしっかり生きてやる!

ご冥福を心からお祈りします。

いいなと思ったら応援しよう!