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【短編小説】和女食堂・牛タンビビンバライス

いつになったら旅に出る気になれるだろうか。パンデミックの前は、確かにわたしの趣味は旅行だった。

昔は親友と呼べる人と二人旅によく行った。ここ数年はケチケチ一人旅専門。なぜならその親友と仲違いしてしまったから。

彼女は三大商社のひとつに勤めていて、仕事ができて英語ペラペラの美人。対するわたしはフリーランスで在宅秘書やデザイナーやライターをやっているモサい女。どれも中途半端で威張れるものは何もない。

もともと遠い知り合いで、わたしが女性誌に連載していた小さなコラムを読んで気に入ってくれたのをきっかけに友だちになった。

最初の頃は、彼女がわたしに大好き大好きって言ってくれて、わたしは天にも昇る気持ちになった。そんなにわたしのこと好きになってくれる人、男でも女でもいなかったからね。

札幌、沖縄、直島、金沢、伊勢。色んなところに二人で行った。都内のホテルでのおしゃべり会も楽しかったな。

なのになぜだろう。彼女は突然去ってしまった。もう二度と会うことはないような気がする。

わたしが歯科医の彼氏に振り回されて、いつも自分をゴミのように扱っているところがどうしてもイヤだと言われたことがあった。

ゴミのようになんて扱ってるつもりはなかったけど。ただ彼が忙しいから、ワガママ言わずにいつも我慢してただけ。自分から会いたいって言えずに、彼が会ってくれる日だけ会える。

確かに幸せじゃなかったなあ。あの頃の自分の写真を見るとひどい顔。とても不幸そうで病んでる。

彼氏にあっさり捨てられて、彼女にも去られた今のほうが穏やかな顔をしている。もう誰の顔色も窺わなくていいんだ。

更にパンデミックは、わたしの社交性を削った。知り合いだか友だちだか不明なような人たちと、連絡を取り合うことももうない。

本当のひとりぼっちは楽。ツイッターもインスタもfacebookも全部見てない。投稿するような話もないし、知り合いの自慢話なんて見てもしょうがない。

わたしの話し相手はYouTube。好きなYouTuberさんにときどきスパチャを送る。ニックネームを呼ばれる瞬間、世界とつながったような錯覚が生じる。

わたしはこの世界に生きてる。誰かがわたしの名前を呼んでいる。それを無意識に聞いてる人たちがいる。あやふやな存在証明。いつ消えても誰も気がつかない。

ここ5日間ほど家を出てない。食事は大体いつも、ネットスーパーとUberEATSで食いつないでる。

たまには外に出ないと本当に病気になりそう。危機を感じて外へ出た。あてどなく歩いて、日赤病院の裏にたどり着く。そうか、ここに和女さんの食堂があったな。

【お品書き】 
牛タンビビンバライス 1000円
炒り豆腐 80円
ハンバーグ 400円
カレーライス 200円
バター醤油ネギ炒めうどん 200円
冷やしたぬき蕎麦 300円
おにぎり 10円
梅おかかおにぎり 80円
かつおぶしチーズおにぎり 50円
ケチャップライス 100円
ミートソース 200円
ウィンナーパクチー炒めそうめん 300円
冷奴 50円
ゆでたまご 50円
たまごサンド 100円
味噌汁(あおさor豆腐)60円
冷緑茶 10円
アイスマンゴーティー 40円
ジャージー牛乳ソフトクリーム 200円

「いらっしゃい〜。よう、元気そうだね」

「あっ、どうも」

いつもながら馴れ馴れしい口調だが、さほど気にならない。和女さんは客のほうから誘い水がなければ踏み込んでこない。だから安心。

「この、一番上のやつください。緑茶と」

「牛タンね、オッケー! 美味しいよ!」

いつもテンション高い。疲れないのかな。

ここは色んな人が次々に来て、食事して帰る場所。知らない人に料理を作り、後片付けを繰り返す。わたしにはムリだなー。

「おまたへ。この赤いのはコチュジャン。つけて食べてね」

「はい、いただきます」

しっかり厚みがあって柔らかい牛タン。彩り良いナムル。観葉植物のようなパクチー。一皿の中に描かれた絵のよう。

家で適当に炒めた肉と野菜をグチャグチャによそって食べる自分とは違う世界がここにある。栄養素的にはさほど変わりない気がするが、こうして食べると人間らしい食事をしている気持ちになれる。

「和女さんはご自分で食事するときも、きれいに盛り付けるんですか?」

「そうねえ。お惣菜買ってきても、UberEATS頼んでも、合うお皿を選んでよそるのが好きかな。そのほうが美味しいよね」

「どうして美味しくなるんでしょうね?」

「それは食材そのものと、料理してくれた人への感謝と、自分を喜ばせてやろうっていう気持ちがあるからかな」

「感謝と喜びですか。毎回?」

「毎回だね。感謝できないものは食べないよ。たとえば明らかに傷んでるとか、不味いと感じたりしたら食べない」

「でも不味いものって普通にありますよね」

「そうかな。どんなに安いものでも、大量生産のものでも、美味しいと思って食べてほしいと意識して携わってる人が必ず存在すると思うんよ。わたしに届く過程に誰かしらいるんじゃないかな。そう信じてる。だから大体みんな美味しいよ」

「そっかー」

「あと、自分の体の中に愛のない食べ物を入れたくないんだよね。わたしがわたしを好きでいたいからね」

「愛のある食べ物を食べていると、自分を好きになれますか?」

「なれますかってーより、基本なんじゃないかな。愛と感謝を感じながら食べないと、心のエネルギーが枯渇しまっせ」

「そっか。今日は心から本当に美味しかったです。ありがとうございます」

「いやいやいや、ありがとうございます。わたしは置いといて、まず食材と自分に感謝と愛を与えると食事が美味しくなるよ」

「へえ、やってみます」

毎日あんまり美味しいとも思わずに食事するのが当たり前だと思ってた。それって自分をゴミのように扱ってるのと同じだったのかな。慣れてしまうとわからなくなるものよ。

試しに明日から、少しは見映えがいいように料理をお皿によそろうかしら。お惣菜やUberEATSをパックのまま食べるのをやめる。作った料理はきれいに盛り付ける。

誰も見てないんだから雑でいいやと思ってた。わたしが見てるのに。自分をノーカウントにするのをやめなくちゃ。

そしてパンデミックが明けたら、一人旅に行って美味しいものを食べたいな。わたしだけのために、わたしを喜ばすために。

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