エッセイ 頭が暴走する芸術の秋
【頭が暴走する芸術の秋】
近頃流行りの量子物理学がたどりついた説からすると、この世の中が仮想現実であることは、ほぼ間違いないという。
わかりやすく言うと、我々が住んでいるこの世界は、非常に高度に進化した文明が創り上げたシミュレーションだというのだ。
要はコンピュータ・ゲームのひとつの世界に、事前にプログラミングされたキャラクターとしてのみ、我々は存在しているというのである。
これを、仮想現実……バーチャルリアリティとも呼ぶ。
そのような概念を理解したり信じたり……さらに受け入れたりすれば、社会や人生に対する考え方が根本から変わってしまう可能性が増す。
そうなれば目指すべく人生の課題は、肉体の不具合を含め、自分の意識に影響を与えるあらゆる現実的な問題を如何にやり過ごすかという一点に絞られるような気がしてならない。
この際の「攻撃は最大の防御」たらんとする「攻撃」とは、おそらく「快楽」の追求であろう。「快楽」をスケールが小さい「幸福」と考えても、まあ方向性としては誤差は少ない。
とにかく毎日面白おかしく暮らすことが出来れば、安心して仮想現実の世界にどっぷりと浸れる、浸れるはずなのだ。
そのための最も安易な発想は、財産の確保と収益の追求であろう。要は金銭至上主義。それはそれでものすごくストレートでわかりやすい。
もちろんその場合、ゲームの最後、9回裏の土壇場に、スコンと逆転ホームランを打たれて病院のマウンドで泣き崩れるリスクは多分にあるのだが……。
逆に創造主たるつくり手側から考えると、優れた仮想現実……バーチャルリアリティの理想は「個別のキャラクターに対しよりリアルな感覚を体験させる」ということになるのだと推測できる。
人間はそのリアルさを全身で受け止めながら、次々と意識を介して過去の思い出に変換していくのである。もちろんその間に大量の記憶は削除されるのだが、インプットされる際には独自の物語として自動編集され、随時端末のメモリーに保存されていく。
それがすなわち……記憶や思い出の正体なのであろう。
つまり記憶や思い出は、その時点でまさにバーチャルそのものなのである。
そのバーチャルなデータが、今現在の意識に情緒を煽って多大に影響を与え続けるのだから、世の中はグルグルと堂々巡りをしていることになる。
私たちは、実は良く知っている。
どんな現実も一瞬で過去になることを。
「確かなのは今この時だけ」と言いながら、その「今」でさえ怪しいということを。
「今」という一瞬の「現在」においてとらえたものは、データでしかない。釣り上げた魚がすぐに死ぬように……。
「現在」という「一点」は、数学的に言うところの「点」や「線」と同じで、概念としてのみ存在し、面積も重力もゼロなのである。
この状況をおそらく「一期一会」と呼ぶのだろうが、その「一期一会」を少し前方に傾けようと変態的に没頭するのが、所謂クリエイターなのだと思う。そのイメージが「前衛」という言葉につながったのではないだろうか。
先駆者たる偉人「千利休」の中に、芸術の本来の姿や前衛芸術への煽動を発見し、
「人のあとをなぞらず、繰り返さず、常に新しく、 一回性の輝きを求めていく作業を、別の言葉では『一期一会』とも言う」と述べたのは、かの赤瀬川原平氏である。
なぜか昔から「芸術の秋」と言う。
繰り返しになるが、この世の中が仮想現実であることはほぼ間違いないらしい。
わかりやすく言うと、我々が住んでいるこの世界は、非常に高度に進化した文明が創り上げたシミュレーションだというのだ。
要はコンピュータ・ゲームのひとつの世界に、事前にプログラミングされたキャラクターとしてのみ、我々は存在しているということである。