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評論 作詞 英語と日本語

 先日、私が主催する「大人の寺子屋 」の授業で、

 映画「サウンド・オブ・ミュージック」を観ました。字幕がまだ塾生にはキツイので、わざわざ吹き替え版を取り寄せて。

 私にとっても、数十年ぶりの観なおしでした。
 主人公 マリアの明るさが、どことなく、ちょっと前に知った訃報の主と重なり胸が痛みましたが……。

 挿入歌……有名な……日本ではペギー葉山でおなじみの「ドレミの歌」。

(余談ですが、私、ペギー葉山の舌の使い方のクセが、相当嫌いです)?

 さて、歌詞という世界での、英語と日本語の表現範囲の違いというか限界というか……土地や空間や懐の広さの差というものを、最も痛感させられるのが、この「ドレミの歌」です。

 元歌は、

 Doe, a deer, a female deer
 Ray, a drop of golden sun
 Me, a name I call myself
 Far, a long, long way to run
 Sew, a needle pulling thread
 La, a note to follow Sew
 Tea, a drink with jam and bread
 That will bring us back to Do

 英語が達者な方には釈迦に説法ですが、端的に訳すと、

 Doe は、メスの鹿
 Ray は、太陽から降り注ぐ
 Me は、自分の呼び名
 Far は、果てしなく走ってゆく先
 Sew は、針と糸
 La は、ソの次の音
 Tea は、ジャムとパンと一緒に飲む
……ってなかんじです。

 なんとも、実にユーモアに溢れているではありませんか?

 歌詞の内容で、ワクワクして、歌いながら楽しみがどんどん増していきます。

 これは、♪ に乗る言語の数がまず最大の問題であり、その裏には母音と子音の組み合わせで成り立つ50音の縛りがあります。

 そのため、単音で捉える以外には、訳詞の打つ手がなくなるのです。

 だから、

 ドは、ドーナツのド
 レは、レモンのレ
 ミは、みんなのミ…

 みたいなふうにしかなれないのです。

 まあ、もうちょっとええ訳詞が出来たと思いますが、ここまで世に浸透すれば、今更取り返しがつきません。

 これ、和訳したのも、歌っている、ペギー葉山自身です。作詞では素人ですから。

 でもね、それでよかったと思うんですよ。

 この歌、たとえば私みたいな天才が、もう少し、誠実に訳詞に向きあえば……つまり、

「ド」や「レ」みたいに、発音を50音限定の単音でとらえずに、もう少し縛りを緩めて解釈を広げれば、かなり怪しい歌詞になりますから。

 たとえばこんなふうに……。

 ドゥ(胴)は、パパのおなか
 レィ(礼)は、キオツケ!の次
 ミー(実ぃ)は、出てはダメ
 ファー(?)は、呆けた返事
 ソゥ(そう)は、うなずいて
 ラー(拉)は、ラーメンのラ
 ティーは、トワイニングプリーズ
……なはっ!

 ダメだこりゃ。

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