エッセイ アリと猪木
アリと猪木の異種格闘技戦が行なわれたのは、1976年(昭和51年)6月26日でした。
私は、関西学院高等部の1年生で、その日のことは、やけにはっきりと覚えています。
とにかく、世間はその一戦の話題で持ちきりでしたが、その試合の当日、私たちサッカー部は、練習のため、グランドにいました。
グランド整備をしていたのか、練習の区切りか、終わったあとかは忘れましたが……。
そこへ、何らかの正当な事情で、練習に遅れることになっていた、同学年の、落合の晋ちゃん、が、グランドに降りてきました。
その人物が、世紀の一戦の結果を知っていることは、明白でした。
ですから、キャプテンが笛を吹かずとも、一瞬にしてその場に円陣ができたのです。
「アリと猪木、どないなった?」
「はよ、教えろや!」
すると、お猿の…いや、落合の晋ちゃんが、
「 9回の裏に、アリがコブラツイストで猪木に勝った」
わけもわからず、アリが勝ったと、信じた奴。
なんで、野球みたいに「裏」が、あるねん?
と、デタラメに気づいた奴。
決まり技がコブラツイストやったら、猪木が勝ってるがな、と、裏をよんだ奴。
反応は様々でしたが、私は、メッセンジャーのあまりに冷めたジョークをして、きっとつまらん試合内容やったんやろな、と、よみました。
でも、あれから、何十年たっても、
「9回の裏に、アリがコブラツイストで、猪木に勝った」
という、ガセネタだけは、なぜか正確に覚えているのだから、人間の記憶とは不思議なものです。
あまりに、くだらん。
くだらんすぎて、情けなさすぎて、
おそらくそれで、脳みそに刻みこまれたのでしょう。
世の中には、そんなふうにして、人々の記憶に残ってしまった、しょうもないもの……たとえば歌なんかが、たくさんあるんやろな……と、しみじみ思いました。
売れたもんが勝ち。
一発屋でも、関係ない。
でも、売れてしまったことの巨大なデメリットも、きっとあると思うのです。
まあ、半分以上、ヒガミですけど。
話題がそれました。
死んだ父親は「モハメド・アリ」のことを、死ぬまで「クレイ」と、呼んでいました。
アリの昔の名前は、「カシアス・クレイ」でしたから。