浜辺の歌
疾風(はやち)たちまち波を吹き
赤裳(あかも)の裾ぞ濡れひじし
病みし我はすべて癒えて
浜の真砂、愛子(まなご)今は
省略されがちな【浜辺の歌】の3番です。この詩を書いたのは、林古渓。
強い風が突然吹いて海水を飛ばし、
女性の赤い着物の裾がびしょ濡れになった。
自分の病気は完治し……
さあここからが難しい。
「浜のまさご、まなご今は」
「まさご」と「まなご」が、♪ラップしていますが、「今は」と中途半端な「?」で終わるのが、大胆でよろしい。
「まなご」とは「愛子」、普通に考えれば自分の子供です。
かたや作曲は、成田為三。
梅若会の修ちゃん(修一郎浅野)たちが居る秋田の人で、我が関西学院中学部の大先輩、赤とんぼの山田耕筰の弟子です。当時山田耕筰はドイツから帰ったばかりでした。
成田為三も後にドイツに留学しますが、
浜辺の歌を作曲した大正5年の時点では、まだドイツに行っていません。
それでもこの「浜辺の歌」のメロディは、オーストリアの作曲家、ヨハン・シュトラウス2世のワルツ『芸術家の生涯(人生)』の一部と非常によく似ているので、たぶん、山田耕筰の影響でしょう。山田耕筰の【赤とんぼ】も、シューマンのパクリの可能性が高いですから。
我々日本人の心の故郷、DNAに、気付かぬうちに西洋のセンスが仕込まれているのですから、民族主義や人種主義がいかにナンセンスかが理解できます。知らんけど。
さて、一説によると成田為三は、この曲の譜面を、想いを寄せる女性に送ったそうです。
ところが、
「ウチ、決まったお人がおりますんよ〜ごめんなさい」という手紙といっしょに送り返されてきました。
「帰ってきたらうれしいわ」などと言っている場合ではありません。
泣ける話です。失恋はつらいもんです。
よし、ワシもこの手を真似て、いろんな女性に、作詞や譜面を送りつけよ。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるかもしれません。
実は私、成田為三よりも、山田耕筰のこの顔がスキ! なんてスカタンな顔なのでしょうか。