エッセイの素(病床日誌No 2)
【エッセイの素】
その2『某月某日』
悪寒→さらなる発熱→解熱剤→発汗→着替え→悪寒→さらなる発熱……の繰り返しをしていると、なるほど、生きるということは緊張と緩和の繰り返しなのだと実感できる。
緊張と緩和が笑いを産むという理論をとなえたのは、かの落語家、桂枝雀だった。
彼は「緊張と緩和」を、「緊張の緩和」と、よく言っていた。
正しい日本語としては「の」ではなく「と」なのだが、私にはこれが枝雀の単なる覚え違いではなく、助詞である「の」に所属の意味をもたせた上で、あえて「緊張の緩和」と言っていたのだろうと思っている。
「緊張」と「緩和」の繰り返しや落差ではなく、「緊張」そのものが変化して緩んでいき、さらに溶けていく様が笑いにつながるものであると、枝雀は言いたかったのではないだろうか?
同様に枝雀は、落語の噺の「下げ」いわゆる「オチ」を、独自の視点で2つずつが対向する東西南北のような4種類に分類している。
その視点……ポイントは時間軸、つまり「どこで笑いを感じるか?」だった。
たとえば聴衆の心理が安定している状態から、意外な方向へ展開したときの落差によって生じる笑い。
それが「ドンデン」。
その逆が、「謎解き」。
さらに聴衆の心理が安定することなく、通常の状態から突然跳ねることによって笑いが生じるものを「へん」とし、
逆に2つの異なるエピソードなどが合致して安定したときに起きる笑いが「合わせ」だと主張した。
私と同じ兵庫県尼崎市出身の変人作家《中島らも》が枝雀に対して、
「笑いを理論的に追求しすぎることは精神衛生上好ましくないので、そういうことに没頭すると、自殺してしまう可能性もある」と、心配していた。
しかしその予感は不幸にも当たってしまう。
1999年3月13日に、桂枝雀は大阪府吹田市の自宅で首を吊り、その後一度も意識が回復することなく、同年4月19日に心不全のため亡くなった。59歳だった。
その5年後には、枝雀の自殺を危惧した《中島らも》も、酒に酔った足取りで飲み屋の階段から落ちて亡くなった。
余談だが、中島らもが最後に酒をのんだ相手が、ミュージシャンの三上寛さんだった。
その三上寛さんが、いつだったか、山口の我が家に泊まり、裏山で摘んだ野草を繊細な感性でコラージュして、花瓶にさしてくれた。
素敵な思い出である。
こんな話題を思いついたのも、私の体温の変化に伴う体調の「緊張と緩和」が原因にちがいない。
さて私のこのカラダ、いったいどんな「オチ」があるのか?
「ドンデン」「謎解き」「へん」「合わせ」……
どれも危険で怪しいけれど限りなく魅力的である。
ただし、中島らものように、階段からオチて死ぬのだけは、ごめんこうむりたい。