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最近の若者/仕事が嫌な理由

・最近の若者

最近の若者、
という言葉は嫌いです。

特に、仕事の話でこれを使う人は
例え仕事はできても、
他人とまともにコミュニケーションを
取ろうとしていないように
思えてしまいます。

なぜなら、

・相手へのレッテル貼りによる
 理解の拒否

・自身の過去を正しく認識していない

これらが透けて見える言葉だから。

やったことのないことは
上手にできるはずがありません。

なにか今までに
そういった経験があるなら別なのですが。

若い人や新人は、
箸にも棒にも掛からないのが
仕組みとしては当たり前です。

何かをできると期待して
勝手にそれを裏切られたつもりになって怒る。

そういうことは、
一般人に急にマラソンをさせて
3kmで根を上げたら怒るのと
全く同じです。

傍からみたら
ちょっとおかしいんじゃない?
と思いますよね。

しかし仕事となると、
急に

・でも仕事だから

とかわけのわからないことを言って
やることを期待し、
失敗したら怒り出す。

そして、
最近の若者とかいう
レッテル貼りをして、
自分からは遠ざけて
理解を拒みます。

自分と彼らはなにか
根本から違うことにして。
優越感に浸るために、
浅いラベリングの言葉を使って。

自分も昔は、できなかったはずなのに。

やりたくないことはやりたくなくて
当たり前。

それを仕事と合理化をして、
毎日自分を苛めているからこそ
他人に対しても苦しみを求めだす。

やりたくないことを、
いかにしてやらないかとか、
自分がやりたくなるように
工夫をしてみるとか。

そういった努力の欠如が、
こういう思考を生み出すのでしょう。

彼らにもそうなってしまう
原因はあるので、
ここまで酷く言わなくてもいいのですけどね。

ただ、他者にレッテル貼りをして、
自身と遠ざけて理解を拒むのは

・人種差別とやってること同じ

・仕事が嫌な理由

新年あけまして、
仕事に行きたくない人が
たくさんいそうです。

その理由は

・仕事を他人にやらされているから

自分自身でのコントロールできること、
自分から主体的に取り組んで
有能感を得られるようなことが
仕事上で少なく、
ただ自身の行動を制限され、
ラジコンみたいに動かされることが
多いと嫌になります。

学校で部活は好きで、
授業は嫌いだった人。

その学校の授業のようなことが、
仕事に当たるわけです。

物事は自分から主体的に
取り組めるようにしないと、
あまり面白くありません。

けれども

・大抵の物事は複雑で、
 あまりにも難しいことが多い

工夫をしないと、
到底立ち向かえる相手ではないのです。

工夫については
スモールステップやら
ポモドーロテクニックやら
たくさんありすぎるので書きませんが、
大枠としては

・細分化する

・成果を見えるようにする

という二つのことです。

まずは簡単にできるように細分化する。
そしてそれらを自分がやって、
その行いが成果につながったんだと
思えるようにすること。

これが99割くらいの
工夫の大枠です。

ゲームは簡単にできて
成果が目に見えるから面白くて、
好きになる。

それとおなじようにして

・好きになるような努力

をするということともいえるでしょう。

それではまた。

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