幻の旅 ―東北― 8 [第46話]
昔に流れていった時間を切々と思い起こし、喜哀の日々のひとときに過去を蘇らせてみても、過去は過去だという諦めに似た心が邪魔をすることもある。
今、こうして数々のシーンを並べ直している間にも、あのドラマのひとコマひとコマが、私の喉の奥で苦みを増してゆく。
もはや、生きてきた人生よりもこれから生きてゆける人生のほうが短くなってしまったという事実を覆そうという気持ちなどは一切ないのだから、苦いといってもそれは私がキリマンジャロを好んで飲むように酸味のきいた芳しい苦味なのかもしれない。
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旅を思い起こしてみる。しかし、今の私が幸せすぎていたり、不幸すぎていたりすると、その回想はつまらないものとなってしまう。では、幸でも不幸でもない私とはいったいどういう私なのだろうか。
自問をしながらなんと難しい問いかけだろうとため息をつく。
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郡山市を出発して宮城県を目指した。唐桑半島というところで泊まっている。行き当たりばったりである。この半島の小さな入り江で私は旅に出て初めて海と対面した。そのことをこれまでに何度も回想してきた。走っても走っても山の中ばかりだった旅の一瞬に出会えた海に感動した。こみ上げるものを堪えることもせずに、その場から動けなくなってしまっていた。
8月2日〔火曜日〕唐桑YHから田沢湖まで。
8月3日〔水曜日〕雨のち晴れ。田沢湖から那須まで。
8月4日〔木曜日〕那須より東京へ
この三日間に様々なことを考えていたのだろう。
三陸海岸から遠野を走りぬけ、まだ未開通だった東北自動車道の工事を横目に見ながら青森県へとゆく。
発荷峠で十和田湖を見下ろしたのが最北限だった。
その後、田沢湖を経て少しずつ南へと向かったのだ。
そして、那須を発ち、学友である安藤の家に寄っている。
日記のどこにも記載がないのだが、田沢湖から那須まで向かう途中にもう一度、郡山市に立ち寄っている。
そのときのことは、寄ったという以外にまるっきり私の脳みその中にも記憶がない。
このようにして東北の旅は終わったのだった。
続く