鶴さん その後
(おそらく、ここで出てくる手紙というのは十年ほど昔-2005年頃-のものではないかと推測します、そしてここで受け取っているのが2016年、出会ったのが1977年ですから、長い物語でした)
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おゆうはんを食べていつものように寛いでいたら
1通のメッセージが届いて
ホイと開けると驚く人であった
(香港にいる)鶴さんのお兄さんからだったのです
ものすごく激しく驚きながらも血が引くように冷静だった
ずっと昔に出した私からのメールに気づき開封してくださったらしい
そのことにホッと一息つきながら次の展開にも期待を膨らませたのですが
しかし 読み進むとそれは無情なものでした
一行ずつ読めば
(この手紙のように)捉えるのが正しかろうな
と私も同意する
つまり これで終わった としっかりとピリオドを打たれたわけです
喜びも悲しみも湧き上がっては来ない 極めて冷静な感情でした
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メールには
過去の経緯は何となく分かりました。然りとて、彼女には言うつもりは全く有りません。次男坊が今年5月に会社の研修で香港に来てまして一緒に食事しました。子供らの成長は、頼もしいものです。日本の、そして世界の明日を拓く力になるのです。 まあ、昔の思い出は心の奥深くにしまいこんでしまいましょう!!
と書いてありました
お兄さん宛てに、私はある時に手紙を書いたのです
それがいつの頃のことかさえも記憶にも記録にもなく
そのとき書いた文面も
「届かないメールなど保存しておいてももう不要だから」
という理由で削除してしまっています
何を書いたのかは思い出せない
お兄さんを Facebook で発見して瞬間的に手紙を書こうと思いついたのでしょう
どうしても連絡を取りたかったのでしょう あのころは
私がその後どうしているか
あの人がその後どんな人生を送ったのか
思い浮かぶ人それぞれの人生模様を想像しても
今は連絡先さえわからないし
連絡先や住所らしいところを見つけて手紙を書いても音沙汰もない
結婚をしましたと連絡をして以来パタリと便りが来なくなったからね
とツマがいうくらい潔くて清い性格なのでしょう
そういうジレンマの中で 少しだけ期待を持って
お兄さんに手紙を書いたに違いない
と思います
もらった手紙に
簡単なお礼を添えて返事を出したいと思います
何を書こうか
今から考える
*
まず最初にお礼を申し上げます。
お返事をいただきどうもありがとうございました。
感謝します。
私がFacebookでお兄さんの名前を見つけて 多分必死の思いで書いたのでしょうが 何を思ったのか 何を期待したのか 曖昧になりつつあります。
音沙汰もなかったので、それは無理な話だったのだと思うことにして 送信簿を削除して整理してしまいました。
あの時に(何時のことかも記憶も記録もないのですが)何を考えて どんな文面を書いたのかは覚えておりません。恥ずかしいことを書いていなければ良いのだがとそれだけを思っております。
私が結婚をすると連絡を入れたら パタリと連絡をくださらなくなったので (私の妻が言うには)「きっと潔く澄み切った人なのだろう」と 私の記憶からは薄れていきましたが。
次男さんがと書いてられるので結婚をして子供があるとわかります。
お母さんの面倒みるのでそれが一番大事なのだということを あの頃にはよく話していたので心配をしたりしていました。
自分のその後のことや鶴さんのその後のことなどを 同窓会のように屈託無く、話が聞きたいと私は思ったのでしょう。地震の被害はどうだったのかなど 考えれば次々と思い浮かんで来ます。
こうしてメールをいただいたのが11月で 鶴さんの誕生日が13日であったことを思い出しました。
私がちょうど10月13日なので それだけが理由で記憶に残っているのだと思います。
おめでとうござます。
私はこれまで、今に至るまでに膨大なみなさんにお世話になり 励まされ 叱られ 怒鳴られ 諭されて 生きて来ました。東京時代に膨大な恩や薫陶を受けた人が何名もあります。
その人たちにきちんとお礼を言えていないことが最大の悔やみなので 彼女にも短い日々にお世話になった 数々のことに しっかりお礼を伝えたい。
今はそう思っていますが、声は届かないとしても お兄さんにこうしてお話ができたので ありがたく思っております。
それこそ何かで万一機会でもあれば、一言お礼を言っていたとお伝えください。
どうもありがとうございました。