幻の旅 ―東北― 5  [第43話]

もう何年も昔のことだが…

師走の京都はしんしんと冷え込んだ。仕事を終えてひとりで歩く。暖かそうな湯気が、暖簾と赤ちょうちんの間から漏れ出てくる店が裏通りにあった。

「明日は雪かも知れんなあ」と帰り際に誰かが呟いていた。そんな冷たく寒い夜に、ちょうちんを指で軽く突付いてガラガラと引き戸を開ける。

店の名前は「鶴さん」といった。

この店の名前がなぜ鶴さんなのか、私はその由来を尋ねたことはなかった。聞かないで大事にしまっておきながら、カウンターでおでんをつまんだ。「鶴さん」と小さな声で口ずさみながら、幻の東北の旅を思い出したものだ。

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私があの子のことを「鶴さん」と呼んだことは一度もなかった。向かい合って話すときも、あるいは手を引きながらのときも、呼びかける言葉など不要だったのだ。

あの夏も私は呼びかけることは無かった。薄暗い鍾乳洞の中をふたりで歩く。まるでそこは迷い道のようにくねくねと続き、地上の雨のことも忘れて私たちは恋人のように寄り添ってゆく。

地上に出たら雨は上がっていた。そして雨具をたたんで郡山市内へと向かった。

記録を辿っても詳しいことは何もわからない。たったそれだけの道程を朝から晩までかかって走っている。雨に打たれてタンデムで走ったことだけが日記に残っている。

そして日記はこのあと、数行で終わってしまう。

(続く)