「タイパ」「コスパ」を笑い飛ばす
ハガキ一枚に思いを込めて目に見えぬ大勢に向けて語りかけた時代があった
発信する側の力の強さにはそれほど左右されることなく富める人も富めない人も、出しゃばりであろうと控えめであろうと一人の思いを手紙に綴った
リクエスト番組には、運不運なしで思いを届けられて、耳を傾ける側も静かに純粋で穏やかな気落ちで心の声に頷いて共感した
ラジオのDJから流れてくる時間がゆっくり過ぎて、リスナーの方も岸で景色を眺めるようにゆとりを持って耳を傾けていた
時間の周期は一週間から一か月も掛かってゆっくりと過ぎゆく
遅いことに焦りは感じない
急がないゆっくりな時代だった
﹅﹆﹅
いつの間にか、時代は大きな段差を伴って変化をしていた
情報がネットワークに乗って伝達されて、情報発信が自由になった
広報的活動がネット上で活発になり、リクエスト番組はガラリと変わったというか消えていった
自分をオープンにして視線を集めるような夢が身近で簡単に実現できるようになった
チャンスがあれば誰もが一夜でスターになれるみたいな感じ・・
しかしその一方で、コミュニケーション力が乏しくなり、他人の話に耳を傾ける人が激減していく
耳寄りでお得な話に関心が吸い寄せられて、時間的価値や合理性を重視する傾向が強くなり、熟成されない味わいの薄いネットワーク社会に変わっていく
﹅﹆﹅
ソフトウェアの進歩につれてハードウェアも大きく姿を変えた
ビッグデータと呼ばれる密度の高い情報とそれを処理する力が格段に進化して、複雑なものが縦横に丁寧に切り分けられたように処理されて並び、オートメーションのように知識が積み上げられていく
実は、社会の仕組みや人の心までも蝕みながら変化が続いていることに幾らかの人々は気づきながらも、それを咎めたり改めようとせず、お祭りのようにAIを受け止めて時間軸から無駄や失敗(や冗長度)を切り捨てていく
これからの時代はこれからの人が築くのだからそれでいいのだ
そう認めてはいるものの、この姿が本当に進んでゆくべき姿であっていいのかという疑問が消せないまま、顎に肘を立てて、出来そうで出来ない反論を思案し続けている人もいるのではないか
﹅﹆﹅
『コスパ』『タイパ』という言葉で日々の行動の最善な選択がなされていき、「ファスト映画」なるものも考え出された
文学作品を鑑賞するにおいてパフォーマンスを言い出してしまえば、何度も読み返したり鑑賞する人の感動する心に共感したり触れ合うことはできなくなってしまう
新しい波に物申したい人も多かろう
・・とそんなことを思う日々なのであるが こんな話をすると嫌われるからねぇ