桜の花の散る四月に [第32話]

雨に煙る都会のビル群とそこに点るガラスの破片のように散らばった明かりを一生忘れることなど無いだろう、と心の中で私は何度も呟いた。東京を離れる列車は闇の中をひた走り、この列車に乗って東に向かうことはもう絶対に無いのだと思うと、閉じた瞼の後ろあたりから空気が抜けて気が遠くなってゆくような錯覚が襲ってくる。

目の前が白くなる。激しく光る。赤く光る。

鎌倉であの子の顔をピンクに染めた雨傘が、瞼の裏に突き刺さるように現れ、焼きついて離れない。脳みそに突き刺さるんじゃないかとさえ思う。

時間は、私がどんな苦渋に苛まれていても、容赦なく過ぎる。

目を開ければ、そこには京都の街があり、私の住む新しい部屋があった。静かな佇まいの中にある部屋で、東京時代と比べると2倍以上の広さだった。

歳月、引き潮のように彼方に消えて、満ちるときは闇夜の夢の如し。

あの子のことはキッパリと心の奥にしまい込んで、波のように揺れた毎日は忘れよう。もう会えないし、会わないだろう。そう決め込んで、四月、新しい年度を迎え社会人としての一歩を私は踏み出していた。

桜の花は散り、その散り初めの東山を散策して、誰を偲ぶこともできない日々を過ごしながらも、私はあの子に電話を掛けようとはしなかった。

ときより、昔のように手紙を書き、ときより手紙が舞い込む日々を再び私は過ごし始めた。手紙には熱い言葉は何も書かなかった。新しい仕事のこと、京都の住み心地のこと、あの子へ、その後、元気なのかという伺い。それは、他愛の無い手紙だった。

前略。

琵琶湖疎水にピンクの花びらが浮かび、ゆっくりと流れるのを見て、あなたとは今の季節に一度も肩を並べて歩いたことがありませんでしたね。夏に出会い、そして夏に再会し、早春に別れてきた私たちに、同じ春を感じた一瞬はなかったんですね。京都には御室という桜の綺麗な古刹があります。会社の名前もこれに因んでいるんですよ。・・・・。

手紙はそんな調子で綴られていたのだろう。

つづく