名もない峠にて [第49話]
東北地方という区域が私の旅のスタイルにあらゆる角度から刺激を与え、この地をセンチな気持ちを押さえながら駆け抜けた日々が存在したことが、もしかしたら私の人生の行方にある種の影響を及ぼしたと考えてもそれは過言ではない。
二十歳前にひとりの女性と出会い、その後十年間で私の心に大きな安らぎと夢を、その人は授けてくれたこと。
そして、その人とひと目でも逢いたいと思い、我武者羅に情熱を燃やし続けたこと。極めて純粋・無垢で、美しく清くその人を慕い、夢のなかで姿を慕い、諦めることなく限りなく未来を描き続けていたこと。
それは、叶わぬ夢であったのだけど、この人に逢うために京都を発ち、陸奥(みちのく)を目指し駆け続けた夏があったことは事実だった。
そんな夏は、一度や二度ではなかった。私が陸奥へと向かった数だけ、燃え上がった情熱があったわけだし、本州の中心に聳える信州の山々を通り越して、夢を実現できる手掛かりを掴むために、何度も何度も、北を目指した日々があったのも事実だ。
若き頃の夏は、誰にも負けないほどに激しく燃える情熱で満ちていた。その地域がどれほど遠くても、怖じ気づくことも無く走った。体力を使い果たし、気力が萎えることがあっても、諦めずに夢をこの地に預けていた。
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猪苗代湖から郡山市へと越える峠道の途中でバイクを止めた。その峠道は幹線道路ではなく、ローカルな県道の名もない峠だった。
真っ直ぐにこの道を降りてゆけば郡山市に着ける。下界に見える盆地の街がそうだ。あそこに行けば、あの子に逢える。
鶴さんの名字は珍しかったので電話帳で調べればすぐわかる。一度、行ってお兄さんやお母さんにも会っているので、尻込みする理由もない。さあ、ここから電話をしよう。
しかし、そう思った瞬間に、私の胸は異常に高鳴って、峠の公衆電話ボックスの前で屈みこんでしまった。立ち上がれない。
電話をするだけなのに、受話器が持てない。ああ、ここまでだ、これで終わりかもしれない、と直感的に私は思った。
どれほどの時間をこの峠で過ごしただろうか。あの日は、というか、あの夏はもっと北へと旅の行き先を変更して、まさに彷徨うように走り続けた。