誰かに似てると言われると少しウレシイ
テレビに出るかっこいい人に似ていると言われるとちょっと嬉しいことがある
たいていはそれほど似ていないのだが 少しウキウキしてしまっている
『似ている』といわれることを冷静に考えてみれば それは他人からの視線がどのように注がれているのか、どのように見えているのかを表しているのかもしれない
二十歳のころを振り返ると・・
松山千春であったり横綱・輪島であったり、流行につれて狩人(歌手)のお兄さんだったり、三浦友和だったりした
みなさんの若いころの写真を検索すると なるほど こんなふうなイメージだったのか・・と感心してしまう
四十歳を超えたころには また新しい人が加わって、高橋克典(俳優さん)、サッカーの三浦知良を見ながらニコニコと 「まま似ておるなあ」と評される
やはり「似ている」ということは 「そっくりではない」ということを意味しているのだと思う
こんなことを書きながら、二歳違いの松山千春は 二十歳のころのヘヤースタイルも雰囲気もよく似ているが、現在も(ヘアースタイルも含めて)雰囲気も顔もよく似ているなと自分でも思う
ボクの方がずっとデブだが 並べば兄弟ですとウソが通じるかもしれない
どんどんと歳を食っていくのだが 似ていると言われる人も だんだんジイさんになっている
客観的に見つめることは大切だ、何事も