幻の旅 ―東北― 3 [第41話]
時刻は6時前だったと日記に書いている。7月30日は土曜日だった。鶴さんは、この日は仕事で、電話を入れた時刻にまだ家に帰ってはいなかった。
家庭にはそれなりの予定もあるのだから迷惑になるだろうと考えるのが大人だ。いきなり邪魔をしたら、準備もできないから困ったことでしょう。しかし、会いたい一心だったのだ。
手ぶらで、いきなり電話を入れて、しかも、彼女は不在であったにもかかわらず家に上がらせてもらって彼女を待ちました。お兄さんがいらっしゃって、お母さんと三人で話をしていた光景がかすかに記憶にあります。
日記から
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7月30日〔土曜日〕曇り時々雨
6時前だった。家に電話を入れた。
それが家のすぐ前のボックスだったから、知らないって恐ろしい。7時半くらいまで待っただろうか。
彼女は帰ってきてかなり強引に家に泊めてもらうことになった。
夜遅くまで話をしていた。夜というか、朝の5時くらいまで話していた。
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このシリーズを書き始めて何度か触れたが、鶴さんと私の会話の内容は私の日記には書かれていない。普段からどんな話を交わしていたのか。もしもその内容に触れるものが残っていたとすれば、ダンボールに一杯あった手紙だけだったのだといえる。
しかし、何をどう判断したのか、どんな事件があったのか、回想するのも悲しいのだが、私はその手紙の束を数年前に…棄ててしまった。
悲しいことに頭の中にも残っていない。こうして日記を読み返していても蘇えってこない。ただただ私は自分の夢を語り、一緒になりたいと言いつづけていたに違いない、と、そう思う。
小さな市営住宅で、一階に台所と居間があるだけの侘びしい家だった。お父さんはお医者さんだったという。でも、小さいころに亡くして、お母さんが大変な苦労の末に兄二人と鶴さんを育てたという。大学まで出すのはさぞかし大変だったのだろう。私はしかし、その本当の苦労を理解できていなかった。
冷房もない部屋だった。畳に座り、ときには膝を抱き、ときには横になりながら、酒を飲むこともなく延々とくどい話をしていたに違いない。時間は情け容赦なく過ぎる。時間が尽きるときの悲しさを想像しても、まだ延々と私は話を続けたのだ。
夜が明け始めて窓が白み始めるころに、少しだけ眠った。
つづく