離散した欠片 [第56話]
たぶん、
自分の誕生日を10月に迎えてそのすぐ後に前回の記事を書いた。その後、11月14日までのあいだに、これまで綴ってきたものを目次として整理している。11月13日は、鶴さんの誕生日で、そのことも実は記憶の中では曖昧なままで、私は鶴さんを想ってささやかにお祝いをしたのだ。
長い夜を最後に書いて、放置したままなのは、あの夜の余韻が今でも大きいからではないのだろうか。
鶴さんシリーズはもうひと通りを書き終えているので、終わることなく余韻のように綴るものは私の瞼に閃光的になって蘇えってくる離散した欠片のような風景ばかりだ。
どのシーンも輝かしくほろ苦いものばかりで、私はそれを簡単に忘れ去ってゆくこと恐れていたのかもしれない。だからそれを整理してみたいという気持ちがあったのだ。
しかし、それほど簡単に書き留められるような物語ではなかった。
もう、忘れ去ってしまいなさいと、天の声があったのかもしれない。
最後の力を振り絞って「終章」を書き上げてしまいたい。
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(あらすじ)
遥か昔の夏の日。それは、北海道の小樽からバスで少々走ったとても夕日の綺麗な漁村での出会いだった。鶴さんと私はひとことふたことだけの会話を交わした。
その土地を去った私は、北海道を旅する途中で、名前も分からない鶴さんに手紙を書いた。旅から帰ってくると鶴さんからの返事か届いていた。そのときから鶴さんとの文通が始まった。それは4年続いた。
夏の或る日、鶴さんからの手紙に、東京で勤めているということが書かれていた。そして私は4年ぶりに、2度目の鶴さんに再会し、東京での鶴さんとの日々が始まった。
それは、貧乏な学生と銀座の大きな企業で働く鶴さんとの不釣り合いな付き合いだった。銀座の夜。鎌倉。二人は、兄弟のようであったかもしれない。優しいお姉さんと頼りない学生…。
しかし、分かれるときが来た。就職が決まって私は京都に住み移った。彼女はその後、家庭の事情で仕事を辞め実家のある郡山市へ帰った。黄金週間に京都を訪ねて来た鶴さん。夏に東北を旅する私。
物語は、至ってシンプルだ。東北の旅で鶴さんの家を訪ねる。その後、本州の最果てを目指し私は旅立ち、その旅の帰路でもう一度だけ再会する。それが事実上の最後の別れであった。
続く