二十六年前の師走を考えていた ❄︎❄︎ 草稿
二十六年前の師走を考えていた ❄︎
❄︎草稿
二十六年前の師走を考えていた
父は最期の師走をどんなことを思いながら過ごしたのだろうか
今、同じ歳になって師走を迎えている
そのようなつぶやきをメモし 「師走を迎えて考える」を考える時間が続く
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❄︎ 『忄』(りっしんべん)の漢字から師走を振り返る ❀ 冬至篇 裏窓から
❄︎ 時を失う 時を遺す ❀ 令和五年の師走に考える (わはく百話、その九
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ちょうど考え事をしているとき
冬至の朝 トミちゃん(伯母98)が亡くなったと電話が入る
幾日も前から愈愈あかんと聞いていたが、ついに力尽きてしまったか
老衰の痴呆が出ていたので 幸せに静かに息を引き取ってゆけることを祈っていた
きっと幸せにあの世にいけたことだろうと思う
年の瀬にこのような話が届いて 暮れゆく時間の狭間で 消えててゆくものをまたひとつ送った
新しく迎える何かがあり希望の芽が開くこともあれば 姿を消すものもある
『逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず』(孔子)
まさに流転の渦の中に晒され 年を重ねるとその波動が激しくなるのを痛切に感じる
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日記(ブログ)を少し「師走」で検索すると 数年前の今ごろから 染み染み一年を振り返る記述が とみに目立ってくる
手にとって読み返すと 何年経っても似たようなことを書いているので 苦笑いが溢れるばかりだ
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年の瀬を迎えている
「心を滅ぼし」て「時を失って」生きてきたことに再び目を向けてしまう時間に襲われている
それは膿となっているのか、傷口のままなのか、傷痕なのか
後悔はしないが 自信に満ちているものでもない
心を枯れさせて感情を廃れさせてしまいながらも 生きる望みに祈りをかけ続けることができているのは これから歩む先に光が見えるからではないか
光が見えないほどの失意に襲われても 再び光を呼び戻せる何かの確信や手掛かりがあれば 新しい一歩を踏み出すことができよう
しかし それさえもな叶わないことがある
様々な年月を送って、思うように生き抜いてきたとは決していえない人生があったからこそ、人生を語れるのかもしれない
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❄ つづく