
果たして昭和は輝いていたのか
果たして昭和は輝いていたのか
「昭和を懐かしむ」テーマを見かけるたびに「果たして昭和は懐かしいのか」と考え直す
タイトルに「輝いていた」とつくこともあり 懐かしむ気持ちが紛れもなく存在するのだが、本当に「何もかもが懐かしくてよかった」のだろうか
あの時代のステージは ひとつの『通過儀礼』的なステップだった面があり、讃えられるべきことは ほんの一部だといえる
しかし そのステップに大きな意義があるものは多く、技術文化史としては価値が高い
人々がどのようなステップを踏んで成長してきたかを知ることは大きな意味を持つ
だが、やはり冷ややかに見れば 五十余年以前の栄華の遺物がセンチメンタルなだけではないのか
︎確かに、昭和は懐かしいものの 良いことばかりがあったわけではないし 取り戻したいものばかりを失ってきたとも言えない
子どもたちの誰もが貧しかった時代でもあるだけに、そんな時代に逆戻りはしたくはないだろうとも思う
ところが、何故か懐かしむ気持ちがどこかにある
昭和は良かったのだろうか
昭和は良かったのだろうか、どういう点を見て良かったというのだろうか
昭和の方が今の時代よりも優っているという話ではなく、所々 今よりも「良い」と思えるところがあるというくらいだ
何もあの時代にタイムスリップするべきほどに今の時代が悪いわけではない
何かを比べて 今は姿を変えてしまったものがあって 昔のものとして取り戻したいと思うものが 時々あるから「良かった」という
本当にそんなに取り戻したいものが多いのか・・疑問は多い
あのころは 貧富で言えば『貧』の時代だった
筆箱には入れている鉛筆はHBが主流で 芯がよく折れてその時は折りたたみのミッキーナイフで鉛筆を削った
学校の置き傘があって みんな番傘だった(雨の日の下校時間は優雅なものだった)
小学生が履いている靴下は 大勢が孔があいたところにパッチを当てて叩いてあった
学校には給食はなく弁当を持参で ほとんどがアルミの弁当箱だった(プラスチックは珍しかった)
九州の先輩たちは特急蒸気機関車の夜行で二晩かけて上京したという
「大垣行」のような鈍行の夜行列車があって ボックス席は和気藹々と談笑が絶えなかった
明日はもっとおもしろい
オムロンが企業広告にドカンとこの言葉を打ち出したのが90年頃でした
僕はこのころちょうど転職ブームに乗って大阪にある「パー」な会社に移りました技術者として一番 輝いていた時期でした
輝く昭和から平成へ、
果たして 明日は面白かったのでしょうか
常におもしろく夜が明けた時代から 次のステージへ
時代は捩れるように 変化していくのでした
疲れたので
あとはまたじっくり考えて
㊙️伝ブログに続きとしてまとめます