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東京に暮らす息子へ⑫

前田五朗は施設の天井を眺めていた。
退院後に入居したグループホームで介護を受けて暮らしている。
言葉を発することが少なくなったが、歩行器を使って歩き、レクリエーションで記念写真を撮るときは必ず両手でピースをする。
周りからすると突然泣き出すからびっくりする。「ありがとう」といい泣く。「うちに帰りたい」といい泣く。
一朗太が毎月面会にくる。施設のスタッフに東京ばな奈をたくさん届けてくれるから、前田五朗は嬉しい。
「息子さんにお菓子いただきましたぁ、ありがとうございます!」
若い女性スタッフに言われるとなんだか嬉しい。そしてまた泣く。
「父さん、元気そうだね」
一朗太が居室に入ってきた。また来てくれたと思うだけで前田五朗の目からとめどなく涙が溢れた。
「おみやげ、渡しておいたよ」
タオルケットをたたんで一朗太は痩せた父親の身体を抱えて、ベッドの端に座らせてやった。
「よく…きた」
「うん、毎月顔を出すってオレが決めた」
またまた涙がこみ上げて、鼻汁も垂れて前田五朗の顔は大忙しになっている。
ティッシュで顔中の涙を拭いてやり、一朗太は前田五朗の横に座り直した。
「お盆に家に帰ろうか?どう?」
(俺は家に帰っていいのか?)
「いいよ、ケアマネさんに頼んでベッド借りたし。これから親父の胃ろうのやり方習ってくるから。昼と夜はオレがやるから」
(一朗太にできるのか?)
「できるよ、意外と器用なんだぜ」
(早苗に頼んだほうがいいんじゃないか?)
「まあ、来月まで覚えてられるか心配だけどな。母さんの血も入ってるから」
(それはそうだな)
「だろ?親父の遺伝子が勝ってることを祈るよ」
(大丈夫だよ、お前なら)
それから一朗太は、担当の看護師から大きな綿棒にコーヒーを湿らせて舌の上に乗せてやると飲み下そうとすると聞いた。
言語聴覚士が飲み込みの訓練をしている様子も動画で見せてもらった。
「今夜は泊まっていくよ」
「ありがと…いち…ろ…た…ありがと…な」
「オレの夕飯買ってくるわ」

…終わり…

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