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東京に暮らす息子へ④

食事を飲み込んでも前田五朗はすべての食物を胃袋に送り込めなくなっていた。
飲むと気道を塞いでくれる弁が丁度よく閉まらない。
食道に流れるもの、気管に入っていくもの。咽てくれればいいけれど、前田五朗は咽もしなくなっていた。
呼吸は苦しくなり、血中酸素飽和度は80%を切る。下顎を前に突き出してしゃくっている。食事のたびに残渣物や気道に入った食物などを吸い出すために、看護師が喉の奥まで管を突っ込む。
ゴロゴロゴロ…と呼吸に合わせて痰が行ったり来たりしている。
ブブブ…じゅぶぶぶぶびゅびゅごごごごご…!ズゴッズココココ…じゅぶぶぶ…!
(く、苦しい…やめてくれ!)
前田五朗が首を左右に振り、吸引を嫌がる。
そんな日が何日も続いたが、4週間目で盛り返した。
吸引の回数が2日に1回になり、血中酸素飽和度も92%以下にはならなくなった。
「前田さん、明日奥さんと娘さん来て下さいますよ」
(なんだ?帰してもらえるのか?)
「帰る準備、始まるかもしれませんね。前田さんはどうしたいですか?」
(ヨネちゃんどんな顔するかなぁ)
「前田さん、笑ってないで何とか言ってくださいよー」
「あ、り、がと、ね」
「いやいやいや、どうしますかってことなんですよ。やっぱり家に帰りたいですよね、前田さん」
(うん、うん、迷惑だろうけど)
「泣かないで、前田さん」



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