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丹後半島で味わう文化という醍醐味

陸路が発展するまでこの国において海路は文化伝来の唯一のドアだった。かの昔、秦の始皇帝は不老不死の薬を探した。その命を授かったものが渡来して探したという伝説が残っているのがこの丹後半島だ。交易が始まった所以として、稲作が伝わり、そして酒造りの基礎も伝わったとされる。日本海側が吹雪で舞う中、僕は丹後半島に到着した。

竹野酒造という酒蔵にきている。半島の中央にある金剛童子山から流れる豊かな伏流水を使い、地元で生まれた新しい品種の米を使ったプレステージキュベと称した日本酒を作っている人がいる。それが杜氏の行待佳樹さんだった。最終工程でタンクの冷却温度を-5度から-8度にすることで生まれるクリアーな上澄み液、これを丁寧にボトリングしたお酒。四合瓶が2本弱ほど入る特大ブーケの菅原グラスに少量を注いで、そして昔卓上に置かれた地球儀のように回し、ドリップさせる。

「全国でも8軒ほどにしか卸していないんで、明確に海外をターゲットに作っているんです。」

フィリップスのLEDライトでぼんやりと灯りがついて、ジャズが流れている蔵のBAR横のトイレ。目の前に広がり、雪で覆われた田園風景とは、普通には乳化しないような油絵具のような独特の彼なりの世界観があった。彼の眼鏡もキャラメルカラーのフィルターが入っている。「本当は透明の世界を観たいんですけどね」と苦笑いする。

5本ほど開けていただいて色々な日本酒を飲ませていただき、それから蔵を案内してもらう。家族経営、酒造りも2人でほとんどの作業をこなしている。小さな蔵だ。ワインセラーのような独特の洞窟臭がする貯蔵庫を案内されたときに、彼はこういった。

「ここを在庫高としたら五十億円ぐらいのうちの酒だけにしたいんですよね」

普通そんなセリフを言われたら鼻につくのが常だが、行待さんが言うと不思議と嫌味がない、そしてあぁ、5年後にきたらそんな感じになっているんだろうなぁっともイメージしてしまう自分がいた。

その夜、「縄屋」という全国的にも名前が通っている和食をいただくこととなる。京都和久傳で修行をされた吉岡幸宣さん、丹後半島で育った彼が独立したあとに目指したのは地元だった。去年の7月に改修したとカウンター越しに奥様が教えてくださった。今は8席のみで、薪を中心に使った料理を出されている。行待さんの行きつけでもある、このプライベートカウンターは地元の食材を奇をてらわずに丁寧な仕事で一品一品に仕上げてくれる。寡黙なご主人は、時間経過とともに少しづつ言葉が現れてきて、行待さんが造る日本酒の時間軸ごとでのエイジングも手伝い、そんなお互いの距離感が少しづつ縮まったかなと思ったタイミングで出てきたのが、「蘇」だった。

蘇は牛乳を丁寧に煮詰めてできたものだ。牛の乳を飲む文化は仏教の教えとともに伝来する。蘇は生酥と呼ばれ、その生酥を元に熟酥が生まれ、そこから最上の乳製品という語彙の醍醐が生まれる。五味のひとつであるこの醍醐という言葉は、深い味わい、そして本当の楽しさという意味の醍醐味という言葉になって現在に永らえる。

人は何を食べて生きてきたのか、シルクロードの発達とともに伝わったこの古式ゆかしい食べ物をいただきながら、少し吹雪始めた雪景色をバックに食と文化について思いを馳せるのだった。

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