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畳は、畳まれてしまうのか。

2月16日(金) 2018

むっっっっっちゃ眠い。
春眠暁を覚えず。ってやつでしょうか。
いえ、きのうの夜のことです。
うっすら気づいたら二徹気味でしたので。

区の施設、区の助成など
和言の和を、やってくのに
一番必要なのは、場。
しかも、できれば「和室」が理想。

マンションで畳風のマットを
使っていたことがありました。
かなり役立ちました。
今は、まったく、それもなく。
百円ショップで、茣蓙(ござ)が
売られるのが待ち遠しい。
着物を着るときは、たとう紙を
敷くのが一般的ですが、
それよりも、茣蓙(ござ)がいいなあ。
簡単で。洗って干せばきれいだし。

フローリングに、茣蓙を敷けば
理屈としては、畳代わりなのに、
気分は、畳にほど遠い。

区のセミナー的?講演的?集まりに
出かけたら、1000円の参加費に
ドリンク付き。
お水、お茶、、
えっ、まじ?!
ハートランドの瓶ビール?!
そりゃあ、それ、選ぶでしょう。

最初のうちは、しっかり聞きたいので
しっかり聞いていましたが。。
二徹気味だったことも忘れて
うへっへーと呑んだら、、、、
ものすごおおい態勢で居眠ってました。

顎から下が伸びきって
後頭部が地面に落ちそうなくらい
のけぞって、さながらイナバウアー。
よくあるのは、、はしたないけど
居眠りから現実にもどるキッカケは
ヨダレで気づいて。
隣の人の肩に頭がのっかって。
ンガ、という息継ぎの音で。
百年の恋も醒めるっていう、あれです。

この夜は、隣の男性の
よそよそしさに、あられもない
居眠り姿をさらしてしまったであろう
事実を認識しました。およよ。

天を仰いでしまったのですが。

いくつかの目的があり。
和室か、和室の代用か。
和室がなくても、やっていくか。
課題は多い。

和室か、和室でないか、の影響が
一番大きいのは、着物を着る脱ぐときです。
それだけなら、この際
和室にこだわることもないし
今の建築物のなかに、畳が
あまりにも少ない。少なすぎる。

このまま、畳の間は滅びていくのかな。

茶道に限っていうなら、
畳が基本というか、それなしでは
成立しえない。
畳の上に、じかに、
茶杓(抹茶をすくう竹の匙)を置くわけですが
それをいやがる人もいます。
茶道に親しむのは、ほぼ不可能。

海外の人をおもてなすために
テーブルと椅子の形式で
お点前を作り出したのは、
(念のため調べたら、記憶ちがい?!)
十四代、淡々斎でした。
立礼(りゅうれい)席と呼ばれます。
1872年に京都で開催された博覧会で
初お披露目だそうです。

今は、どの流派でも使われるし、
見かけたことがあるかもしれません。

どの流派も、どの代も
それぞれ特長や功績がありますが、、
十四代、淡々斎は極めつけ、
かもしれません。
戦前は、時代に華やかさがあり、
戦後は、存続に苦心したり、
外国人との交流も盛り上がった時期を
経験されていると推測します。
激動の時代に生きたことは、
数々の功績を残す環境だったと言えそう。

で。
果たして、茶道のすべての点前が
立礼席になってしまうとは思えず、
かといって、畳の間が
今後、増えていくとも想像しがたい。

変化は、職業を生みます。

江戸時代に刀の鍔を作っていた人は、
明治、大正、昭和には
襖の取っ手を作ることで
技術を活かし、引き継いできました。

畳職人は、畳の需要が低下したので
職業として、どんどん衰退しました。

印刷物が、その昔、活版だったのが
オフセット印刷になり、
写植(写真植字)で版下を作る時期が
広告の華やかな時代でした。
今は、デジタル入稿で、
写植屋さん、版下屋さんは、この世から
ほとんど消えました。

畳は、どうでしょう。

お点前のとき、道具の位置どりは、
点前の命に近いのですが、
その位置を決めるとき、畳の目数が
目安になります。

さらに。もっと、
ややこしいことを言うなら、
京間、江戸間、その他、で
畳の大きさがちがいます!!!!
京間江戸間問題だけでも
十分に面倒くさいのに。

畳のあるなし、どう思いますかね。

手探り中です。
なにかの打開策を探すために出かけて
ビール呑んで、居眠りました。

世田谷ものづくり学校。
それが登場したときから、
存在も知っていたし、
何度か行ってます。

ふと、もう一度、
手がかり足がかりとして見ておきたい
気持ちでした。
地域への貢献という、ギブアンドテイクが
前提とのこと。
提供できるものは、だんだん可視化できてますが
果たして、どう、形づくるか。

答を探しあぐねた、居眠りでもあったかも
しれません。
畳。悩ましい響きです。

和に親しんで運を開く。

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