聲の形が駄作な理由と聾学校のイヤな思い出
ちょっと前に「聲の形」ってアニメ映画が流行った。たまにNHK教育で放送されるくらい評判がいい映画だ。
元々人気のある漫画を映画化したもので、原作を読んでいた僕は、原作で充分だと思い、公開当時はスルーして、最近になってようやく見た。
結論から言うとかなり良い映画だった。
無造作に挿入される花のショットが最後の寛解に行き着く構成や、また、ソフトな絵柄からくる優しさ。逐一映像で説明していく演出のおかげで字幕さえあれば十分楽しめる、聴覚障害者の人にも配慮した作りにもなっていて、製作者側の聴覚障害者への真摯な理解も感じさせて、そこにも好感が持てた。
ある一点を除いては。
今作のヒロインの聴覚障害者の女の子は声優の早見沙織が務めた。彼女の演技は熱演で、アニメ声優としては結構良かったと思う。
けどダメだ。聴覚障害者の声じゃないんだもん。
生まれつき耳が聞こえない子があんな舌ったらずの子どもみたいな、萌えキャラ声なわけあるか。何がチュキだ、かわい子ぶった演出してるんじゃねえ。
ちょっと辛口で文句つけたが、僕にはこう言わなきゃいけない義務があるから、しょうがない。
小学校の頃の話だ。
僕がいた小学校では、近くにある聾学校の小学生たちとの交流が定期的にあった。聾学校の子が、僕たちの小学校を訪問して、一緒に給食を食べたり、手話で歌を歌ったり、よくある社会教育の一環だ。
小学校一年の一学期。聾学校の子供達が訪問すると先生に聞かされて僕は彼女、彼たちがどんな人か、全く想像がつかなかった。そんな人がいたことを知らずに育ってきたからだ。
翌日にやってきた子供達をみて、僕は正直「へんな子だな」と思った。実際僕から見ると(あくまで僕のね)変な声をしてるのだ。生まれた時からパロールを知らない世界で育った子達は、発声の訓練を積めてないから当然だ。日本人がshitとsitの区別がつかないみたいに。
それを見た大半の生徒は、松本人志が出川哲朗を見る目で、クスクス笑っている。聾学校の子供との出会いはそこから始まった。
しばらくは良くも悪くも普通な交流が続いて、小学校4年になった。
一人一人が聾学校の彼女、彼たちに手紙を出すとなった。これが忘れられない。僕たちは、なぜか全文平仮名の手紙を書いた。知的に劣ってると本気で思っていたのだ。
送る前に手紙を読んだ担任の先生は「あの子たちはバカなわけじゃないんだよ」と笑いながら注意した。
おいお前、何笑ってんだ。真剣に叱る場面だろ、そこは!要はこいつも内心では馬鹿にしてたってことだ。こんな奴が年収700万なんだから腹がたつわ。
小学校5年、訪問してきた聾学校の生徒たちは、主演監督脚本全て自前のオリジナル映画を上映した。
批評家の僕はちゃんと評価する、全くつまらなかった。北朝鮮のホームドラマかってくらい。
ただ、僕は映画を見て嘲笑しようとは思わなかった。頑張っている姿が伝わってきたからだ。これはあくまで僕の話。上映中、結構クスクスした声が聞こえてきた。