板橋にある近藤勇の墓へ行ってみた
都内アドベンチャーサークル「WAGNAS」のアキラです!
「新選組の秋」企画
今回は近藤勇です!
近藤勇といえば言わずと知れた新選組の局長ですね。
自分はnoteでよく土方歳三が好きだとは言っていましたが近藤勇が好きではないわけではもちろんありません!
というのも近藤勇が生まれた場所は調布なのですが、ほぼ三鷹に近い所なのです。
自分は三鷹で生まれて12歳まで住んでいました。
近藤勇が生まれた所から自転車で行けるくらいの距離で小学校の授業でも近藤勇についてやるくらいに実は土方歳三よりも身近な存在なのです。
近藤勇の墓がある龍源寺という場所の近くでよく友達と遊んでいました。
以前に書いたこの野川の謎の銅像の記事も実はこの龍源寺のすぐ近くなのです。
そのような自分の中の歴史上の人物だと1番身近な人である近藤勇のお墓がある板橋駅へとやってきました。
「あれ?さっき近藤勇の墓のある三鷹の龍源寺と書いていなかった?」
と疑問を持つ方もいるかもしれませんが、実は近藤勇の墓はいくつか存在しているのです。
という事で板橋駅へとやってきました!
板橋駅東口を出ると駅前はこのような感じです。
そしてここから徒歩で1分ほどで近藤勇の墓が見えてきます。
板橋駅から本当に近くにあります。
ここが近藤勇のお墓です。
三鷹の龍源寺に近藤勇の墓があるのは近藤勇が生まれ育った地の近くということですが、なぜ板橋にもあるの?
と疑問を抱く方もいるかもしれません。
それはこの板橋が近藤勇の最期の地だからなのです。
詳しく書くとそっちがメインになってしまいそうなので簡単に説明すると戊辰戦争で京都から江戸に戻ってきた新選組は「甲陽鎮撫隊」と名前を変えて山梨の甲州で新政府軍と戦って敗れます。
そして途中で試衛館の時から仲間であった永倉新八や原田左之助と仲違いをして2人は新選組を離れ、新選組は千葉の流山に辿り着きます。
ここで新政府軍に見つかってしまい「大久保大和」と名を変えていた近藤勇は新政府軍に降伏をして捕まってしまうのです。
一説によると土方歳三が近藤勇にこのまま大久保大和と名乗りつづけて新選組の近藤勇とバレないようにしらを切り続けるように助言したと言われています。
新選組の他の隊員を守るために近藤勇は自ら出頭して大久保大和ととしてこの窮地を脱しようとしたのです。
板橋に連れて行かれて取り調べを受けていて途中までは新政府軍をうまく騙せていたのですが、相手の中に以前に新選組の隊士だった人物がいてバレてしまい処刑されることになったのです。
新政府軍からすれば新選組は幕末の京都で多くの仲間を斬られた憎き相手です。
この時には特に土佐藩が近藤勇を処刑にするべきと強く推して坂本龍馬を暗殺したという罪でここ板橋で処刑されたのでした。
武士に憧れて江戸にいた時から剣術を磨いて京都で新選組の局長として活躍して念願の武士になれた近藤勇の最後が武士らしい切腹ではなく罪人という形で首を斬られて処刑されるというのは本人にとってもさぞかし屈辱で無念だったでしょう。
しかし処刑の直前まで近藤勇は武士らしく堂々としていて取り乱すこともなく周りの人に「ながなが御厄介に相成った」とはっきりとした声で声をかけたと言われています。
その処刑場はこの板橋駅の近くにありました。
実はこのお墓、仲違いをしたはずの永倉新八が発起人となって作られたのです。
新選組二番隊組長として活躍して沖田総司や斎藤一と並べて新選組最強の剣士とも言われた永倉新八。
言わば喧嘩別れした相手の墓を立てる永倉新八のこの心意気が素敵ですね♪
そして敷地内には肖像画も見ることができます。
新選組局長近藤勇
新選組副長土方歳三
そしてこの墓の発起人の永倉新八
そして近藤勇の立派な像ももちろんあります!
近くで見ると
凛々しい姿の近藤勇です。
そして供養塔も兼ねている近藤勇の墓がこちらです。
ちょっと暗くて見づらいので明るくして見てみると
なんと近藤勇と土方歳三が並びになって刻まれています!
やはりこの2人がいてこその新選組ですよね!!
花も手向けられていてとても綺麗に手入れもされています。
いろんな人がここに訪れているのがよく分かりますね。
この供養塔の側面には新選組の隊士や新選組に関わった人の名前も刻まれています。
芹沢鴨や伊東甲子太郎といった最初は仲間だったけど最終的に新選組と敵となった人物の名前まで刻まれているそうです。
そしてここには当初の墓石も見ることができます。
近藤勇は処刑された後に首は京都の三条河原で晒されてその後は行方不明になり、胴体は処刑後に一旦ここに埋められたらしいです。
そして後日近藤勇の遺族が掘り起こして胴体を三鷹の龍源寺まで運んで行ってそこで埋葬されたと言われています。
しかしここからも首のない骨が出てきたらしく板橋と三鷹の龍源寺のどちらが本当の近藤勇の胴体が埋葬されているか議論にもなっているようです。
骨にある骨折の痕跡などから龍源寺の方が本物である可能性が高いとは言われていますが果たしてどうなのでしょうか?
墓石の近くに咲く花が美しいです。
そしてこの供養塔の発起人の永倉新八の墓もここにあるのです。
永倉新八は近藤、土方、沖田といった若くして亡くなった人達とは対照的に大正4年の77歳まで生きていて、その間に現在まで伝わる新選組の貴重な歴史を伝えることになる重要な人物だということになります。
もし永倉新八も若くして亡くなっていたら新選組は悪名高い幕末の嫌われ者というイメージで現在まで伝えられているのかもしれませんね。
それだけにこの近藤勇の墓と新選組の供養塔は新選組ファンにとっても本当に大切な所なのだとしみじみと感じました。
新選組に興味がある方はぜひ一度訪れてみてください!
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