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「金利ある世界」の生命保険はどうあるべきか?その1
インフレが定着し、金利ある世界が日常になりつつあります。
生命保険会社各社とも、貯蓄性商品の販売に改めて力を入れているようで、SNSにも多くの広告が流れてきます。
このタイミングでかつての「生保危機」を振り返っておくことは有意義だと思いますので、簡単に説明してみようと思います。
バブル崩壊と生保危機
バブル崩壊後、金利の急激な下落を受けて、生命保険会社は「逆ざや契約」を抱えることとなりました。
逆ざや契約とは、生保会社が契約者に約束した金利(予定利率)を稼げなくなることをいいます。具体的には、バブル期には、予定利率が5%前後の契約を各社とも終身保障で販売していました。つまり、「一生、預けてもらったお金を5%以上で運用します」という商品を販売していたのです。それまでは、長期国債の金利が5%を下回ることはありませんでしたので、これでも、生保会社としては何も考えずに国債を買っていれば問題なかったので、このような商品を終身保障で売っていました。
しかし、バブル経済が崩壊し、日本経済は一変します。
平成4年(1992年)の終わりには、10年国債の金利が5%を下回ります。これは、国債を買っているだけでは予定利率をカバーできないということを意味します。もちろん、それが一時的なものであればそこまで大きな問題ではありません。
しかし、その後、平成10年(1998年)には10年国債の金利は2%を割り、超低金利の時代がやってきます。平成11年から発行されはじめた30年国債も金利が3%未満ですから、ここで、生命保険会社の逆ざや構造は固定化されたといえます。
このころから、生命保険会社が破綻しはじめます。1997年の日産生命を皮切りに、2001年の東京生命の破綻まで、短期間に7社が破綻しました。これを「生保危機」といいます。
すべて手遅れだった破綻処理
このとき、破綻した7社の生保は、破綻時点ですべて債務超過でした。これは、保険監督が機能していなかったことを示しています。通常、保険監督は、保険会社が債務超過になる前に経営をストップさせます。そうすれば、既存の契約者の保障はカバーした上で、危険な保険会社に新しい契約者が加入してくることを止めることができます。「免許制」という厳しい参入障壁がある生命保険会社については、早め早めに経営をストップさせるのが世界の常識なのです。
欧米では、監督当局が保険会社の経営をストップする基準は、おおむね、自己資本がリスク量の30~50%を割ったときになっています。つまり、手持ちの財産では、抱えているリスクの30~50%しかカバーできない状態になれば、保険会社の経営は停止されます。こうすれば、保険会社が債務超過に陥ることなく、国民に迷惑をかけずにマーケットから退出できます。もちろん、急激に経営が悪化し、間に合わないこともあるでしょうが、保険監督の理念としては早めにストップをかける方針なわけです。
では、日本では、保険監督が経営にストップをかける基準はいくらになっているでしょうか?
驚くべきことに、日本ではその基準は「0%」なのです。リスク量というのは常にプラスの値ですから、自己資本の割合が0%を割るときというのは、自己資本がマイナスになるとき、すなわち、債務超過とほぼ同義です。日本の保険監督は、債務超過になるまで保険会社の営業を止めない仕組みになっているのです。
これは、たとえば交差点の停止線で考えてみればよいと思います。停止線は、横断歩道がある場合はその2m手前に引くのが基準とされているそうです。あたりまえの話ですが、停止線は歩行者を守るためにあるわけですから、ある程度の余裕を持って引く必要があります。横断歩道ギリギリに停止線を引いてしまっては、ブレーキが間に合わなかったときに即交通事故につながってしまいます。いちいち説明するのもアホらしい話ですが、少しブレーキが遅れても安全に止まれるよう、多少の余裕を持たせているわけです。
ところが、日本の保険監督は、この余裕を一切持たせていません。なお、欧米の保険監督は30~50%が基準といいましたが、現実的にはもっと手前で保険会社の経営を止めることもあります。基準はあくまでも機械的な基準であり、「この会社はヤバそうだ」と判断すれば基準のさらに手前で止めることもあります。
日本も、たとえ形式的な基準は0%であったとしても、実際はもっと手前でうまくやるのであれば問題は無いといえないこともないのですが、残念ながら、生保危機時の7社すべてと、リーマンショック時の1社、合計8社すべてが債務超過になるまで経営を止められませんでした。
保険監督の基本を知らなかった監督当局
さらにいえば、そもそも金融庁に「債務超過になる前に経営を止める」という意識がないのです。私が実際に聞いて衝撃を受けた話なのですが、過去の生保の破綻処理に関わった職員が「業務停止命令を打ったときに債務超過になっていてよかった、もしもし資本が残っていたらまだ生きているうちにとどめを刺したということになるので大変な問題になるところだった」というようなことを言っていました。バブル崩壊後の経済の変動は確かに急激でした。たとえ早めに止めたとしても結果的には債務超過になってしまっていたのではないかと思います。しかし、ベストを尽くしてもなお債務超過になってしまったのと、そもそも国際的に異様な「債務超過になるまで経営を止めてはいけない」という意識で監督をしていたのではまったく様相が異なります。保険監督のイロハも知らずに破綻処理に当たっていたということになるわけですから、大きな問題でしょう。
生保危機を経験してもなお、いまだに、経営を止める基準は0%のままです。いまさらこれを国際的に常識的な水準(50%前後)にしてしまえば、「生保会社の経営を止めるのが遅すぎて被害を拡大させてしまった」という過去の破綻処理のミスを認めることになってしまうので、変えられないのでしょう。
役所のジョークに「役所で制度を変えようとするときは、変える前より変えた後がよくなることを証明するだけではダメで、その制度が導入されたときはよい制度であったことと、その制度の問題がごく最近生じたことをあわせて証明しなければならない」というようなものがあります。
おかしな制度を変える場合であっても、その制度を導入した人と、そのおかしさを看過してきた人に責任が及ばないようにする必要があるということです。そして、それが証明できない場合は、そのおかしな制度は「臭いものに蓋」をされて見て見ぬ振りで維持されることになります。「行政の無謬性」の裏返しのような話です。
まあこれは役所に限らず日本の大企業はどこもそうなのではないかという気はしますが・・・
国民を向いていない保険監督
残念ながら、金融庁は保険契約者(すなわち国民)を守るのではなく、保険会社を守ることを最優先に監督をしていると言わざるを得ません。どんなに経営が悪化しても最後の最後まで悪あがきを続けさせ、被害を拡大させたあげく、債務超過になってようやく経営をストップさせるのです。そして、その割を食うのは結局は我々国民です。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というのは日本人の悪癖としてよくいわれるところですが、生保危機の教訓も残念ながら活かされることなく、忘れられてしまうのでしょう。
さて、ここまでは破綻した会社の話をしました。ちょっと長くなったので、「破綻しなかった会社の話」は次にしたいと思います。
「破綻しなかったんだから問題ないんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、これがまた問題山積なのです。ある意味では、破綻した会社よりも破綻しなかった会社の方が大きな問題を抱えているといってもよいのです。
よかったら著書もご覧ください。