『しろいろの街の、その骨の体温の』読了
『しろいろの街の、その骨の体温の』読了した。
「白って発狂の色だよね」
わたしはなんとなく白に閉じ込められたような想像をした。
例えば、黒に閉じ込められたとして
それは私たちは少なからず身をもって体感している
電気を消したばっかりの部屋とか。
でも白に包まれることは少ない。
光は、全てを照らしてしまうから、白で包まれることはない。
未知の体験。白は永遠となにもないことを、自分がどこにいるのかわからないことを証明する。
白は発狂の色だと思った。
そんな白い街に閉じ込められたと感じている主人公は
どこか私と似ているような気がした。
中学のとき感じたクラスの上下を
そこに溶け込もうとしつつ嘲笑する主人公は
私と似ている気がした。
それが珍しいことでないとしたら
みんな上下を嘲笑いながらも
それにしたがって生きているのだ。
ただ、上の人たちだけのために
おこがましいけれど
わたしは中学のとき「幸せさん」になろうとした。
どこにも属さない、誰にも上下を知らされない
自然体の
「幸せさん」に
それならその上下から抜け出せるって信じてた。
「幸せさんは上のグループにいることが多い。上にいるからこそ鈍くいられるのだろう。」
私は上のグループにいたのかもしれない。上のグループにいることが鈍くない私はバカらしくなった
鈍い訳じゃなくて、鈍いふりをしただけだ。
それは今だって続いてる。
私は主人公が無視されてはじめて感じた、上下から外れる体験を「幸せさん」になることで自ずから作り出そうとした。
意識した途端にそれは、
ごりごりの自意識を働かせた「幸せさん」だ。
全然「幸せさん」じゃなかった。幸せではなかった。
ちょっと息をするのが楽なくらいだった。だって周りを伺ってどんな時も一匹狼で、中立を保つから。結局蚊帳の外になっただけで、周りに気を使うってことには変わりなかったもんな。
それでもいくらか上下を放擲する方が楽だから。
そうやって中学の自分は、自分に位をつけないことで、自尊心を保った。
主人公が、みんなを無意識に見下して、自分を一番上の位に引き上げることで、自尊心を保ったように。
そうすることでしか、私たちは息ができない。
主人公が伊吹をおもちゃにした発情は、私が幼馴染みにぶつけたものと似ていた。
おもちゃにする快楽は彼女を優越感へと導いた。
クラスで人気者の伊吹を独占しているのは自分だけだという優越感
それを「嫉妬」という言葉で片付けるにはあまりに複雑だ。
人間の感情は、言葉を持っていても、その言葉の裏にたくさんの感情が重なっているものだ。
通り一辺倒の感情なんて存在しない。
追体験するかのように、わたしは彼女を思った。
作者は直接的な表現を使わない
だから、私たちがその感情に名前をつけなければこうして文字に起こすことはできない。
かといって一言で片付けられる感情は存在しない。
感性を最大限鋭くして、敏感に、心の機微を読む
自分の痛みに、ちゃんと向き合って痛みを感じる。
これは自分だけの痛みだから。
それを思い出させてくれた作品だった。