ニコチンの幻。⑲「21歳大学1年生になるまで。」part 6
まもなく9月終了ですね。
最近は本当にひんやりとしてきて着る服に悩みます。
そろそろ自己紹介シリーズは終わらせようと思います。
そして、夏休み週3更新のゴールも今日です。
はやいものですね。
でははじめます。
(前回の記事はこちらから。)
地震をきっかけに大学受験を決めた私は、さっそく店長にその旨を伝えました。
この期に及んで断れない性格を発揮したうえに、シフトにあける穴のために多少の嫌味をうけたものの、なんとか1か月後までは働くことを約束し円満に札幌の地を離れることが決まりました。
そして19歳の秋、わたしはついに受験生になれたのです。
約1年ぶりのまともな勉強。あまりに覚えていないことが多い。そして、センター試験まではもう3か月しかない。
自分で決めたことながらなかなかに絶望はありました。
何よりしんどかったのは、仲間も先生もいない宅浪であったこと。
結局その年の受験は失敗に終わってしまいました。
翌年度、さすがにということで父の知り合いのつてをたどり、学習塾の自習室を借りて勉強することになりました。
少ないながらも、「受験指導の授業」というものを初めて受け、感動するとともにこんなものを受けている人たちと闘わなければいけないのかと絶望したことをよく覚えています。
気を抜くと、勉強に関してとても恵まれた環境で中高生生活を送っているひとにひどい嫉妬をむけてしまいそうになりながら、うらやむべきは私が欲しかったものを持っている人じゃなくて、自分がしたいことと周りがしてほしかったことが一致した一部の人間の方だと言い聞かせていました。
ただ、勉強をしていることが正義である浪人生という肩書にひどく安心してもいました。
なんだかんだといいながら、塾のトイレ掃除を自主的に行うことで何とか自分の存在の社会性を確保しつつ、仲間がいる幸せな受験生としての生活を送っていました。
そして4月、多少の情緒不安定は残るものの、無事受験を終え私は今年春から大学生になることができました。
やっとです。
やっと、社会的肩書を手に入れられたのです。
何やってるのって言われて、大学生ですって言えるんです。
これがどれほど幸せか。身に沁みます。
とても遠回りをしたようにも思います。
わがままを言い札幌に行った。
そこまでして、やっと捨てられた意地がありました。
何も考えなくても、なにか学ぼうとしなくても生きていけることをを痛感した。どうにでもなることを痛感した。
だからこそ、考え学んで生きていく方を選びたいと強く思いました。
わたしはひねくれものなのできっと、ちゃんと学ばなければ生きていけないことを痛感しても学ぼうと思えなかったと思います。
大学生になれたという事実を私は、今までの私の選択がたとえベストといえなくても間違っていなかったことの証明のように感じています。
ここまで来てやっと評価されてこなかった自分を許して愛してあげられるようになりました。
自分でも驚くほどに、大学生になるということにすべてをかけていたのです。
大学生活、たまにどうしてそんなに頑張ろうと思うのといわれることがありますが、きっとなにもできなかった登校拒否期間の絶望に戻るのが怖いからです。
あと、今まで十分に好き勝手やってきたという自負が、わたしを頑張らせてくれます。
誰のせいでもなくオンライン新入生となってしまったけれど、それでも私は大学生であれて幸せです。
完
はい。
ここで自己紹介シリーズ終了です。
長かったです。
過去を振り返って嫌になることいっぱいありました。
書きたいけれどどうにも言葉にできなくて削り取ったものたくさんありました。
それでも、長い長い最高の自分語り。
お付き合いいただいた方本当にありがとうございます。
そしてきょうで夏休みが終了します。
週3更新の目標のゴールとして明日振り返りを書こうと思います。
よろしくお願いします。
それでは。ありがとうございました。
2020年9月30日 23:58 夏休みにしがみついています。