ニコチンの幻。⑬「21歳大学1年生になるまで。」part 1
今日でブログをはじめて1か月経ちました。いえい。
週3更新、正直ギリギリアウトかなってくらい最終日に駆け込む日が多かったけれど、なんとか続いております。
読んでくださる方ありきです。本当にありがとうございます。
あれもやりたいこれもやりたいで始まった夏休み。
やろうと思っていたことなんてたいていは、半分でも終われば関の山。なんでもかんでもやってみたいと思ってしまう人間なので余計に。
なんならあれやりたいこれやりたいと言い散らかすこと自体が楽しいだけという節も。
だからひとつでもちゃんと続いているものがあることがわりとうれしい。
浮かれてます。にやけます。えへへ。
もしひとつも成し遂げられていなかったら、きっと楽しかった思い出がたくさんある夏休みも、自己嫌悪のきっかけになってつらいものとして残してしまっていただろうという気がします。
ひとつでもあるおかげで他のできなかったをちょっとだけ許せるんです。ちょっとだけですけど。
とにもかくにも今日は1か月記念日です。なので、いつか書こうと思っていたちょっと詳しい自己紹介書こうと思います。長くなります。なので何回かに分けます。よろしくお願いします。
ここからが今日の内容です。はじめます。
「21歳大学1年生になるまで。」part 1
私は大学生になるまでにちょっと遠回りしています。
高校3年生で大学受験できなかったことが最大の理由だと思います。
できなかったといっても、はたから見ればどう見たって私がしなかっただけですが。
高校時代、不登校気味の私でしたが、受験はするはずだったんです。
でも、ちゃんと受けるつもりで秋に申し込んだセンター試験の受験票は、証明写真さえ貼られることなく今も残っています。
そこから、わがままに自分勝手に動き回って、いろいろな人に迷惑かけながら助けられて、2年かかって大学生になりました。
順番に話したいと思います。
わたし、中学高校の6年間、全寮制の学校に通っていたんです。新しい学校だったので、私たちが1期生でした。そこは生活力を重視する学校で、日々のルール等含め自分たちで学校生活、寮生活を作り上げることを求められる学校でした。
私は小学6年生の時その学校の存在を知り、友達との共同生活や自分たちで作り上げるという点にあこがれて受験を決めました。
晴れて入学が決まり、1期生として先輩がいない中、慣れないながらも必死で生活をしていました。
わたしは問題が起こるたびにみんなで話し合って解決する生活にあこがれいたので、入学初年度から生徒会執行部で活動しはじめました。
そこから先生と生徒の板挟みに悩みつつ、もともとまじめで目の前のものにのめりこみがちな私は、友達関係がうまくいってなかったことも相まって、「学校をよりよくする」というなかなかに曖昧なものにのめりこんでしまいました。
つづく。
はい。1000字を超えてきたので、part 1 はこの辺で切らせていただきます。
記憶があやふやなところもありますが、できるだけわかりやすく書こうと思いますので、どうかお付き合いください。
では、また。
2020年9月15日 21:52 最後のあがきをしたがる夏服のおかげでひんやりと寒く感じる室内より。