自分を守るのは自分
皆さま、アロハ!
note記事は久しぶりの投稿となります。
突然ですが、私は基本的に真面目な性格なのか、曲がったことはなかなか受け入れられない部分があります。例えば、明らかに虚偽の発言をしていたりする人(実際の発言であれ、SNSでの表現であれ)に対しては、違和感を持ってしまいます。たとえその表現が、「誰にも迷惑かけていない」「より一層キラキラを増すための演出」「多くの人は真偽にこだわらない内容」というような、いわゆるホワイトな嘘であっても、いやーでもそれ嘘じゃん!という平たい気持ちでNO!と思ってしまいます。
この曲げられない性格のせいで損していることもあるんだろうと思っています。いわゆるMLM系のビジネスには一切惹かれません。スピ系、ライフコーチ系も多分苦手。でも、いい面を考えたら、大体のケースで「騙されたり、流されたり」することはまずないです。そして発せられる言葉から、その人の人間性を知ることは、割と得意かもしれません。なぜなら、表現されたことの奥にある「ほんとか嘘か」の部分を的確に感じ取ることができるから、そしてそれが自分の感性・センスに合うものなのかを正確に選別することができるから、だと思っています。
余談ではありますが、今の時代、ものの真意を読み取る能力は誰にとっても必要なことだと思っています。誰かが言ったから(それがインフルエンサーでもテレビの中の権威ある人でも)とか、よく目にするからとか、そういう外的な要因で判断するのではなくて、直観的に、あるいは本能的に感じる能力が、人生のサバイバルを生き残るために大事だと信じています。この時代、流され続けていたら、身体が持たないよね、実際。
で、最初の「違和感を感じる」の話に戻りますね。
誰にも害がない、そんなホワイトな嘘であったとしても、私の心の中で一旦「ん?これは嫌な感じ」と思うことがあると、どうしてもその対象の方とのお付き合いが難しくなってしまいます。
でね、過去には、特に若い頃は、そういう風に感じた自分に嫌悪感を感じてしまって、悩んだ時期もあったりしました。どうして、みんなが好きな人を好きになれないんだろう、とか。
でも最近は、その違和感から自分を守ってあげるのは自分の行動しかない、と思っています。つまり、誰かの好き嫌いに自分の好き嫌いを合わせる必要はないんだ、ということ。自分が直感的に「これは違う」と思ったことは、他の人の考え方や世の中の基準とは全く関係なく、自分で自分から遠ざけて良いんだと。
これも、基本真面目な性格が邪魔をして、人との距離を置く、ということが苦手ではあったのですが、もうそういうことで神経を減らすのはやめて、自分を守るために自分を非難させるという方法で、これから先は楽に生きていきたいと思っています。好きな人に囲まれて暮らす自分でいたい。わがままと思われても。
結局、人が発する(表現する)言葉の中にはその人の全てが出てきます。こんなふうに考えていると、あー文学部ってこういう時に役に立つ思考を学ぶための学部だったんだな、と思ったり。占いやコーチングを受けるのも良いのだろうけど、私は読書から、そして自分の経験から、自分で自分の人生の指針を得たいかな。自分、自分、言ってますね(笑)戯言、失礼しました。
皆さんも、良い「自分ライフ」をお過ごしください。
Aloha mai.
サポートいただいたお志はカウアイ島のリサーチにかかる費用に充てさせていただきます。ご支援ありがとうございます。